年金世代間格差(第三考)
日経新聞が2004年に出した「年金を問う」。この本にも、西沢や大林の考え方が横溢している。私は彼らの考え方のすべてを否定しているわけではないが、彼らの立論方法に正当性は見いだせない。
厚生年金の年金額は73年の改正で大幅に上がったが、85年の改正でそれを減額するようにしてきた。彼らは前者を「大盤振る舞い」として批判しているが、西沢がその時点での「人口推移予測」や「平均余命の伸び」を天災と同じように予測は難しかったとしているのにたいして、日経陣はそうした留保もなく批判しているという違いはあるものの、これが大きな世代間格差を生んだ、という論調に変わりはない。よく考えるとこれも変と言えば変だ。
過去の政策の過ちを批判したとしても、年金のように「利害関係者」が多い場合には自分の意図を実現するのは至難である。本当は彼らとて「納得性のある」落とし所を求めているのだろうが、その戦略が「世代間の不公平を是正することが最重要」であるかのようになっているわけで、こんなおかしなことはない。
彼らは、どのような経済変動があろうが公平な「成果」が必要であり、それができなければ年金は不信の固まりになって存続できなくなってしまう、と言っているのだ。単純化して言えば、「確定拠出年金」で加入していた時代によって成果が異なるにもかかわらず、公平なものを払えと言っているのと同じだ。その理由が「確定拠出年金」には本人の責任があるが、「年金」は無理やり加入させられるから、というわけである。
このように考えてしまうのは、彼らが「コストパフォーマンスが人生のすべて」と考えているからである。ちょっと考えればこんなおかしなことはないのはすぐわかる。彼らにもわかっているはずだ。ところが、自分の立論をやめることができないのだ。
30年生まれの人たちが戦争を生き抜いてのち、貧乏な戦後を15年間過ごしたのちやっと高度成長の恩恵を受けた人生と等価の人生など後続世代のどこにあるというのだろう。年金は過去の人生そのものであり、他人がとやかくいうものではない。収受している金額に特段の意味などないのだ。ただ現在の社会情勢に鑑みて正当なものであるかどうかだけが問題なのだ。多くの人の感覚ではそのようになっていると思う。
実際問題、「世代間格差」などは西村や大林の頭の中にしかないのだ。彼らは60年前後に生まれた世代だろうが、彼らの親は30年頃に生まれており、多額の年金を享受してきた。その恩恵は彼らや彼らの子供に及んでおり、このようなことを考えてみても、彼らの主張が愚かなものであることが一目瞭然である。「世代間格差」の是正という考え方がなければ、正当な年金額に近ずけない、というのはおかしな考えなのだ。
私の主張は年金世代の上位三分の一の年金を実質的に減らすため、所得税を増税(年金等控除の減額)するとともに遺族年金にも課税するというのが一つの柱である。もう一つの柱が消費税を導入して年金世代全体の実質の年金額を減らすことである。但し、これは大幅なことはできないので極力小幅にしなければならない。そのため、税金で保障(負担)するのは20歳台の10年間だけとする、というものである。そうすることによって、現在の年金状況で渦巻く「不信」の多くを取り除けることができると思う。西沢や大林の「世代間格差」など唯の「宗教的思い込み」に過ぎないのだ。
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