2009年7月 6日 (月)

年金世代間格差(第三考)

 日経新聞が2004年に出した「年金を問う」。この本にも、西沢や大林の考え方が横溢している。私は彼らの考え方のすべてを否定しているわけではないが、彼らの立論方法に正当性は見いだせない。

 厚生年金の年金額は73年の改正で大幅に上がったが、85年の改正でそれを減額するようにしてきた。彼らは前者を「大盤振る舞い」として批判しているが、西沢がその時点での「人口推移予測」や「平均余命の伸び」を天災と同じように予測は難しかったとしているのにたいして、日経陣はそうした留保もなく批判しているという違いはあるものの、これが大きな世代間格差を生んだ、という論調に変わりはない。よく考えるとこれも変と言えば変だ。

 過去の政策の過ちを批判したとしても、年金のように「利害関係者」が多い場合には自分の意図を実現するのは至難である。本当は彼らとて「納得性のある」落とし所を求めているのだろうが、その戦略が「世代間の不公平を是正することが最重要」であるかのようになっているわけで、こんなおかしなことはない。

 彼らは、どのような経済変動があろうが公平な「成果」が必要であり、それができなければ年金は不信の固まりになって存続できなくなってしまう、と言っているのだ。単純化して言えば、「確定拠出年金」で加入していた時代によって成果が異なるにもかかわらず、公平なものを払えと言っているのと同じだ。その理由が「確定拠出年金」には本人の責任があるが、「年金」は無理やり加入させられるから、というわけである。

 このように考えてしまうのは、彼らが「コストパフォーマンスが人生のすべて」と考えているからである。ちょっと考えればこんなおかしなことはないのはすぐわかる。彼らにもわかっているはずだ。ところが、自分の立論をやめることができないのだ。

 30年生まれの人たちが戦争を生き抜いてのち、貧乏な戦後を15年間過ごしたのちやっと高度成長の恩恵を受けた人生と等価の人生など後続世代のどこにあるというのだろう。年金は過去の人生そのものであり、他人がとやかくいうものではない。収受している金額に特段の意味などないのだ。ただ現在の社会情勢に鑑みて正当なものであるかどうかだけが問題なのだ。多くの人の感覚ではそのようになっていると思う。

 実際問題、「世代間格差」などは西村や大林の頭の中にしかないのだ。彼らは60年前後に生まれた世代だろうが、彼らの親は30年頃に生まれており、多額の年金を享受してきた。その恩恵は彼らや彼らの子供に及んでおり、このようなことを考えてみても、彼らの主張が愚かなものであることが一目瞭然である。「世代間格差」の是正という考え方がなければ、正当な年金額に近ずけない、というのはおかしな考えなのだ。

 私の主張は年金世代の上位三分の一の年金を実質的に減らすため、所得税を増税(年金等控除の減額)するとともに遺族年金にも課税するというのが一つの柱である。もう一つの柱が消費税を導入して年金世代全体の実質の年金額を減らすことである。但し、これは大幅なことはできないので極力小幅にしなければならない。そのため、税金で保障(負担)するのは20歳台の10年間だけとする、というものである。そうすることによって、現在の年金状況で渦巻く「不信」の多くを取り除けることができると思う。西沢や大林の「世代間格差」など唯の「宗教的思い込み」に過ぎないのだ。

 

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2009年7月 1日 (水)

西沢和彦「年金大改革」2003

 日経新聞の大林尚がさかんに言い立てる「年金世代間格差」。この愚かな主張に根拠を与えているのが、この本だということを知った。西沢は現在の年金制度に影響力のある人(諮問委員)で「年金は誰のものか」2008.04という本も書いているが、2004年改革の前に拙速で書いた標題の本には粗雑な論点が目立っている。

 その一つが「世代間格差」だ。それを緩和するため2005年頃以降の新規裁定者から老齢厚生年金を3割減としろと言っている。一方で既裁定者はそのままでいいなどという無茶苦茶なことを主張しているが、まさかこれが実現するとは思っていたとは思われない。ただ言わなければ気持ちが済まなかったというだけのことであろう。

 西沢の根拠とするのは「これだけ負担額に差があると年金を支える気持ちがわかない」という薄弱なものだけである。しかし、そのように考えるのは、西沢や大林らほんの一部の(目覚めた)人間だけではなかろうか?自分たちは後続の世代のためにやっているかのように言っているが、ホンネを言えば団塊世代に意趣返ししたかっただけなのではなかろうか?

 年寄りの世代も若い世代も「自分が払った保険料」が、年金になった時額が減ったりすればイヤなのは当然だ。しかし少しでも増えていれば余り文句はないというのが普通だと思う。(それ以外に考えようがないハズだ)同年の人たちとの比較は気になるが他世代との比較に気を回すようなことは余りないだろう。要するに自分がいくら払いいくら貰うかがすべてで、先行世代の年金が自分たちより多額というならいざ知らず、ほぼ同額をもらっているときに過去に払った金額など誰が気にするというのだ。

 要は年金が潰れずにあれば自分が得するということを知り保険料を払うことができる時には、人は保険料を払うことに(多少の文句はあるが)大きな不満はないのである。従って、そんな「頭のいいことをほめられるためにだけ考えた理屈」は捨て去って、まっとうな議論だけをしてもらいたいものだ。

 そのためには「根本的に年金は永遠に続かざるえないこと」を議論参加者がベースとして認めることである。 民主党の山井などが年金不安を煽るために手練手管で繰り出す議論などは即座に否定しなければならないし、世代間格差などの末節の議論を恰も最重大事であるかのような言い様は決してすべきでないのである。

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2009年6月30日 (火)

鳩山邦夫の演技が見破れないとは!

 この間の「日本郵政事案」で呆れるのは、世論が鳩山邦夫の本性もその背景も全く見過ごしているということを知ったことだ。

 この件は、郵政民営化の中での4分社化について麻生は反対で、鳩山にその線で動くように指示をしていたが、最終的には党内の闘争で破れてその方針を引っ込めざるを得なくなった、というのがコトの真相であった。だから麻生が鳩山を斬るのは、普通ではありえないことなのだ。それをアンケートでストレートに質問すれば、「よくない」と感ずる人が多いのは理の当然なのである。本来であれば、その前提として上述の「真相」を示した上で、政治家・麻生の現在の判断がどうなのか、と聞くのが正しいのだ。

 マスコミに露出していたのは鳩山のバカ面ばかりで、麻生・鳩山が「郵政民営化」をどのように修正したいのかというものが、対立点として浮上していなかった。この二人もその部分を明確化すると、党内でも世論でも勝てるという確信がないものだから、子供受けする「月光仮面物語」を演出したのである。

 こうした鳩山の胡散臭さは最初の行動からミエミエだったのに、世論はそれを見透すことができなかったと言えよう。目くらましの一つとして「国民の財産」ということばが鳩山の口から何度もれたか知れないくらいだが、これも子供だましのレトリックである。「かんぽの宿」のどこが「国民の財産」なのだ。こう自問してみれば、鳩山の云っていることがおかしいことがすぐにわかる。

 マスコミも「厚労省」のグリーンピアの問題には未だに批判を繰り返しているのに、「かんぽの宿」を作ったこと自体への批判は口をつぐんだままだ。国民新党などはこれを作ったのは当然だったなどと言っている。ふざけんな。郵便局の利害関係者以外にはこんなものは何にもならないお荷物なのは一目瞭然だ。一体全体今年度以降の赤字は誰が負担するというのか?いっそのこと、「かんぽの宿」の従業員・役員は全員解雇し、土地建物だけを売っぱらったら、1000億位にはなるだろうに。

 郵便局以外ではそのようなシナリオもありうるところだ。どうして「全逓」組合員だけが過剰に守られねばならないのだ。こういう論調が全くでてこないこと自体がおかしいし、本来であれば湯浅たちや雨宮たちが騒いでしかるべきだろう。

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2009年5月27日 (水)

年金世代間格差の欺瞞

 各マスコミはこの2、3日標記の話題で大騒ぎだ。見識を疑うが、どうもこの背景には、厚労省側の思惑があるらしい。要するにこの世論を煽って年寄りの年金を削りたいということである。それに乗っているマスコミのアホさ加減にも呆れるが、そうした記事を見出しにするとアクセスが増えるということなのであろう。

 私は現在の高齢者の年金額は多すぎると考えているが、少ない保険料しか払っていないのに生意気だと思っているわけではない。世の中になぜそういう議論が生まれるのか本当に呆れてしまう。

 よく考えてほしいのは、自分の保険料を預けてその運用益と元金で年金を受け取るわけではないのだから、「コストパフォーマンス」の議論は出てくるはずがないということだ。80年代頃から「子供を作ることのコストパフォーマンス」の議論もよく語られたが、こうした「知ったかぶり」評論家の罪は大きいといえるだろう。

誰でも考えることでは、インフレの要素が大きいが、単純にそれだけで各世代の生活の実相を量れるわけはない。

 例えば、75歳以上のほとんどの高齢者には親への仕送りというものがあった。給与自体も安かったし、自由になる金自体が僅少であった。電化製品もほとんどなかったのであり、映画をみることが唯一の娯楽だった時期もある。その中で負担していた保険料が今より負担率が低かったなどとはとても言えないのだ。

 更に89年から導入された消費税も年金財政に貢献している。現在65歳の人たちは45歳であり最も購買力があったから、最大の貢献者であった。

 このように既に一部税金が投入されている以上、世代間格差の計算などできるわけがない。何故このような欺瞞が行われねばならないのか、を問うべきなのである。盛山和夫のいうようにこの格差の是正には年金額の50%減などが必要だが、そんなことは現実にはあり得ない。であれば何のためにこのような「不満」を述べるのか、本当におかしな話しである。

 現在は「コストパフォーマンス」でなく、給付と負担の全体の調整だけを考えるべきだ。そういう意味では、消費税を上げることで負担を平準化し、高年金者には所得税の強化が必要だ。

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2009年5月26日 (火)

NHK左翼思想の底流

4月5日に第一部が放送されたNHKスペシャル(「アジアの”一等国”」)の内容はヒド過ぎるものだった。つい2、3か月前にも「原爆投下と南京虐殺を同等に考える必要がある」というようなメッセージが放送されたことがあったと記憶している。

 「正論」派から当然多くの批判がでているようだが、今日たまたま河添恵子の記事を図書館で読んだので、私の意見を書いてみる気になった。

 日清戦争後の日本の台湾統治は、それ自体を「先験的に」断罪されるようなものではない。しかし、多くの左翼信奉者は「帝国主義的侵略」と言う名前でそのように批判してきた。それを覆す思想は未だ明確になっていないし、「自虐」のどうのと言ったところで何も進展しないが、問題とすべきことであるのは明らかだ。この番組を作った人は、「台湾が多くの帝国主義パワーの争奪の中心だった」というどこの馬の骨だか知らぬフランス人の歴史解釈を中心に据えて、日本がどうしても台湾を手に入れねばならなかったなどという暴論を展開した。そのため、日本の台湾支配も過酷にならざるをえなくなり、様々な残虐行為を犯したというわけである。

 日本が台湾の少数民族に対して武力制圧を進め、多くの兵士を失ったのも事実である。当然先方にはそれに倍する被害を与えたことだろう。彼らが日本の支配に怨念を抱くことも当然である。しかし、当時にあってみれば、フランスが行ったアルジェリアの支配と比較しても特にどうのこうのと言われる筋合いのものではない。「先験的な」悪事などではありえないのだ。

 もちろん個別の事件などの責任は当然負う必要があるが、100年以上たった時点で問題とすべきは、そのようなことではないだろう。

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2009年5月12日 (火)

年金はどうなるのか?

 2、3日前の日経ネットニュースで、フィデリティ投信のアンケートの話しが報じられていた。見出しは「半分以上の人が年金が大幅に減額されると思っている」というものである。よく読んでみると、多少或は相当額減額という人も何割かはいるようだが、「年金がもらえなくなる」と思っている人は少数派(1割程度)だった。この記事も「年金不安を煽る意図的記事」である。なぜなら、フィデリティ自体がこうしたアンケートを取って、自分の業務上の意図につなげようとするのは、そうした広告を読む側もそれを前提に考えられるからある程度許容されるが、マスコミが報道することは、アンケート結果に客観性がなければ、何の意味もないのは明らかだからである。

 この記事に客観性を与えるには、アンケート対象の年齢・職業などの明確化が必要である。例えば、60近くの人で自分の年金が半分になるなどと思っている人はほとんどいないだろう。そのような政策は誰も受け入れないし、自分もその多数派に属していると思っているからだ。一方、年金受給まで2、30年ある年代では、「増えることはないだろうし、もしかしたら半分くらいになるかも」と漠然と考えているわけでその意味ではこの記事はウソとは言えないが、その限定が必要だ。逆に言うと今から30年程度は、年金の額は減額になってもそれほど大幅ではなく推移するだろう考えているというのが「正しいこのアンケートの解釈」である。それを、日経の見出しはノベタンで「大幅な年金減額があると半分以上が思っている」と言っているのだ。

 ハッキリ言って年金の額は増えて行くことはないだろう。30年後には現在の基礎年金792100円が70万程度になることは大いにありうるが、それ以上に減ることは日本経済が崩壊しなければありえない話しである。何週間か前に読売のネット記事で「30年後に年金崩壊」とかいうのもあったが、前提が「マイナス成長が30年続いたら」というものであった。バカにするな!そんな時には、年金どころか日々の職もなくなって「日本は崩壊している」。そんなことはあり得ないし、議論の余地もない。

 盛山(セイヤマ)和夫「年金問題の正しい考え方」(中公新書)には多くの点で賛同した。2年前のこの本は、私の言おうとしていることをかなり言ってくれているが、明らかに間違っている部分もある。多くの場面で数式を使って説明しているが、必ずしもそれがわかりやすくなっていないし、それに溺れているきらいがある。

 一つ目の間違いは、消費税の導入によって世代間の不公平を緩和する、という考えを批判しているところである。盛山は「年金世代の収入(消費税を含む)自体が現役世代の所得から出ているのだから、結局は現役世代の負担を軽くすることにならない」としているが、実際には消費税を導入することは年金世代の実質の年金額を減額することになるので、現役世代の負担は減るのだから、その議論はあやまりである。これは、小学生でもわかることで、それを数式を使ってごまかしているだけである。

 二つ目は高山憲之の主張を真に受けた「三号被保険者の優遇というのは厚生年金の内部ではありえない」というものである。これもヘンな理屈である。高山の主張の眼目は「同じ報酬であれば同じ負担」という前提である。それでは、なぜ専業主婦を持つ夫と持たない夫あるいは単身者の報酬が違う例(倍の報酬)を掲げているのだ。同じ報酬にすれば高山も盛山もうまく説明できないのが1分でわかる。それをなぜこういう愚かな時間の空費をするのだろう。これは余計な紛糾を年金問題にもたらしており、今すぐにでも訂正すべきである。3号被保険者の非負担は不公平であるのは明らかで、何らかの負担を「夫」に求めるべきだというのが私の考えである。

 その他にも盛山は「未納問題はほとんど問題ない」などと主張しているが、これも肯定できない。「未納」は年金制度の根幹を揺るがす問題ではないが、小さい問題でもない。未納を減らすよう全力で取り組むべきである。その意味でも「年金にはいると損をする」という論調が減ってきたのはよいことだ。

 私は年金制度が崩壊することはありえないと主張しているが、正確に言えば「保険としては既に崩壊しているから、これ以上の破たんはない」ということであるともいえる。保険料が不足すれば、国庫から負担金が出るのであり、その調整だけが問題なだけだ。年金受給者が多数派であるのは永遠に続くから、「年金がもらえなくなる」ということは現在のアルゼンチンのように自給自足経済にでもならなければありえない。但し、それは許容できる範囲の減額を受け入れることが前提である。消費税で行うにしろ、直接の年金減額であるにしろある程度の負担は避けられない。

 私が早目に消費税をあげることを主張しているのは、遅れれば遅れるほど、現存年金世代の「逃げきり」を許すからだ。しかし、それですべての問題が解決するわけでもない。ある程度、更に税率を上げてゆくことも選択肢であるが、「少子化問題」の解決が是非とも必要だ。

 若い人たちは、「少子化問題」が何か現在の高齢者に影響があるような気分でおり、「自分たちの老後」の問題であるという”当事者意識”がない。この問題は現在の高齢者には(消費税があがらなければ)何も問題を齎さない。むしろこの問題で困るのは現役世代であることを明確に理解することが重要である。

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2009年3月 5日 (木)

定額給付金批判に対する疑問

 定額給付金が支給されることになった。今でも反対論が渦巻いているが、私には反対する論拠がいま一つはっきり見えない。これは理不尽な論調に世論が動かされているということで、非常に恐ろしいことだ。

 「バラマキ」だ、という批判がある。票を金で買うのと同じだ、というものもあった。経済効果が費用の割に薄いというのもあった。後者の方は、だんだん声が小さくなっているが、「バラマキ」というのは野党が困るという意味なのであろう。自公に有利になるからということ以外に理解する方法がない。公明党、社民党、共産党などの支持基盤は交錯していて、自分たちが主張していた政策をやられてしまっては立つ瀬がない、ということだ。唯一、財源がないのにそんなことを与党がするのは選挙対策だ、という批判はうなづけるものだが、その点を中心に批判をする野党はだれもいなかった。

 だから、もっと他のことにつかったらどうか、という批判が未だに続いている。自公に言わせれば他のこともいろいろやっているということだが、財政出動による景気刺激や雇用対策ということについては合意があるといえるかも知れない。

 しばらく前、電通の子会社が行った中高生へのアンケートの結果をいくつかのマスコミが報じたことがあった。アンケート自体は子供向け商品に関連する人たちには関心がないこともないという程度のものだ。定額給付金2万円がはいったらどう使うか、というものである。

 このアンケート自体の前提がおかしいのは一目瞭然である。定額給付金は親がもらうもので子供に渡す親などほとんどいない、と考えるのが自然であろう。だから、1万2千円でなく2万円なのである。子供にとってみれば、親からもらえるかどうかわからないものの使い道をきかれてもわかるはずもない。

 それに輪をかけておかしいのは「朝日」をはじめとするマスコミが、「中高生は半分しか使わないから、経済効果も疑問」というような報道をしたことだ。これはダブルで読者を騙している。半分でも使えば効果はあると考えるのが当然なのに、予定した結論に導いていた。つまり、当初の頃にあった「経済効果はない」という経済学者の主張を補強するかたちをマスコミはここでも作っているのである。

 これだけ景気が冷え込んでくれば、経済効果は高いと考えるのが自然だろう。学者やマスコミが半年後にどういうツラを見せるか、興味津津といったところだ。

 

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2009年3月 3日 (火)

右翼論壇の実態を示す「諸君!」の休刊

 文芸春秋の「諸君!」が40年の区切りとなることで、廃刊になるようだ。理由は何であれ、売れていないということである。また、左翼論壇が崩壊した状況での存在意義も失ったということかも知れない。

 田母神問題以降「正論」、「WILL」は「夢よもう一度」と盛んにはやし立てたが、笛吹けど踊らずの状態が続いた。「VOICE」の場合は経済絡みが中心なので多少は傾向が違うが、しばらく経てば、世論ここにあらずということを知り、くだらない言説を載せるのはやめるであろう。つい最近、ヤフーの「産経」報道で「田母神氏へ講演依頼が殺到」というのを読んだが、これも恐らく(ウソではないだろうが)そうした思想傾向へのアシストを狙ったものだったようだ。

 田母神氏はしばらく前に「TVタックル」に出ていた。APAグループのCMもサンデープロジェクトで流されており、田原や朝日系列の「右翼」懐柔ポリシーが垣間見える。更に、田原は先日のゲストに西部邁と桜井よし子を出演させて「右翼」のガス抜きを行っている。

 確かに彼らの言論が追い詰められれば何をするかわからない、というのはわかる。しかし、中谷や姜を含め、これからの日本の未来を語らせるのに、この4人とは言葉を失うとしかいえない。もちろん右翼に「何かする」ような力はない。苛立ちが高じて、「銃弾送付」や「玄関放火」などをしているだけだ。

 「諸君!」に対しては私は一定の評価を与えたい、と思っている。しかし、昨秋の「田母神問題」での記事はいただけなかった。何とか廃刊を避けようとしたのだろうが、部数は伸びなかったのだろう。朝日のネット記事によれば実売4万部だという。この内、全国の図書館で1万部買っているから、記事に共感して購入しているのは2、3万人、ただ読み読者を入れて15万程度だろう。2、3年前までは図書館でこの種の右翼雑誌を読みたくても必ず誰かが読んでいた。ところが昨秋以降の状況は、ほとんど読める状態になっている。これでは「産経」ならずとも焦りを覚えて当然である。

 現在、世論の流れは「貧困ビジネス」に向かっており、これと右翼が結びつくことは金輪際ありえない。要するに彼らは自分の「矜持の根拠」を探し求めているわけだから「貧困者」に同情などするわけがないのだ。私が「現実のクーデター」などありえないというのはこのことを指している。そういう意味では田原の首も当分は切られることもありえないのであり、右翼に阿る必要などまったく無用ということだ。

 

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2009年3月 2日 (月)

派遣労働者とはどういう存在か?

 つい先日、定額給付金について意見を求められた「おばさん」が、「ハケンの人たち」に行き渡るようにした方がいいんじゃないか、というようなことを言っていた。年末からの大騒ぎでこういう認識が広まっているが、どうなのであろうか?

 現在、非正規労働者の代名詞に使われている「派遣労働者」は、120万人程度いたが、製造業への派遣を中心に削減され、100万を割ることは確実と考えられている。そのうち、派遣労働者の健保には50万人程度が加入していた。その実態はよく知らないが、普通に考えれば、ある程度安定した職業生活を送っていたということは窺われるところだ。つまり、半分以上の派遣労働者は、労働条件が極端に悪いなどということはないのだ。

 一方、「非正規労働者が1700万人」「労働者の3人に1人」ということもよく言われる。93年からの変遷を見てみると、「派遣・契約・嘱託・その他」は200万から550万になっているが、パートは550万から850万、アルバイトも250万から350万(合計誤差50万)となっている。「派遣」は確かに増加率が高いが元の数が20万程度だったことを考えれば特に問題ではない。「契約・嘱託・その他」も250万増えているが、最近の傾向は「どんどん増えている」というわけでもない。契約社員や嘱託には定年後の人たちも含まれるから、若年の契約社員はそんなに増えてはいないだろうと推察される。

 パート・アルバイトの増加は主婦層の就業の増加や高校生の就業、大学生の数の増加が考えられる。もちろんそうした人たちを雇う産業(コンビニ・外食など)の隆盛も考えられるが、それ以外の層(本来はフル勤務就業すべき層)の存在も小さくはないだろうと推定でき、そこには、解決すべき問題が存在していることも明らかである。

 第一の問題は、子供のいない主婦であっても、夫の税金や会社の扶養手当、更には自らの社保加入問題(保険料負担、健保厚年)があるため十全な能力発揮がなされていないということである。もちろん働く側にもまだまだ甘さがあるが、働く意欲があってもそれを掣肘することは、労働力利用の面で著しいマイナスで、早急に改善すべきである。前々からこの問題は言われてきたが、未だに103万とか130万の上限を気にしてセーブしている状態だ。年金については老後の年金が増えるので考えようもあるが、健保は単純な持ち出しになるから、尻込みしてしまう。

 そこで私の提案だが、夫の所得より低い所得の主婦には、夫の所属する健保(国保以外)から妻の所属する健保に援助金を取り保険料を半額くらいにするようにしたらどうだろうか?(夫が国保のときは、妻も均等割を払っておりこれをやめるので不要) 妻の年収が200万でも、協会けんぽでは本人負担が8.2万あるがこれを半分にするということ。4.1万は夫が属する健保に請求するということである。事業主負担は変わらない。夫の健保も妻の医療費が出ないのだから、文句はないと思われる。

 第二の問題は小さい子供のいる主婦のことだが、こちらは、様々な援助が必要ではあるが、基本は母親の選択肢を増やすということだ。

 一方、学校を卒業しても、コンビニなどでそのままパート勤務を続けて30歳を過ぎる人がかなりいる。ひと頃は「フリーター」と呼ばれていたが、これは死語になった。このことには、その労働形態が望まれていないことが歴然としてきたからという理由がある。今では「フリーター」で20歳台を過ごしたいという未成年者はほとんどいない。その意味で言うと「ニート」になりたいという未成年者は最初からいなかった。「ニート」は結果であって、目的ではなかったのだ。

 年長フリーターの問題は雇う側にも問題が多い。昨年は店長職の残業代の問題などが数え切れないくらいあった。秋からの派遣問題で消えてしまったが、年長フリーター問題を考えればその方向でもっと世論が盛り上がってもよかったものだ。彼らは簡単には別の仕事を考えれないだろうから、業界ももっと優遇するように動くべきであろう。

 このように「非正規労働者」の問題には様々なものが複雑に作用している。簡単に「派遣労働者はすべて不幸」などと言えるものではない。共産党や湯浅の戦略が効を奏して冒頭の世論が蔓延しているが、ちょっと考えれば、それは一面の見方だということがわかるだろう。第一、新たな産業、企業の活動=富の創造がなければ、賃金をもらう労働者も生きて行けない。下手をすれば「日本国民はすべて不幸」になりかねない。国に無限の富があるとおもったら大間違いだ。なんで左翼の連中はこんな愚かな思考をやめることができないのだ。しかも、国に出費を押しつけておいて消費税は反対、法人税を増やせなどと言っている。そんな単細胞の考えでは、到底世界とわたりあって行くことなどできないのは明白だろう。

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2009年2月23日 (月)

日経日曜記事の欺瞞(高齢者への負担増)

 この記事は2002年以降の税制改正等によって高齢者への負担が急増したという造作が元になっている。記事の内容にウソはないようだ。社労士や税理士にも関与させているから、数年前のヘボ記事に比べれば正確性は高くなっている、と言える。

 問題は対象となる夫婦が相応しいのかどうかということだ。実際に取材したかどうかは知らないが、対象となった夫婦の年金収入は二人で300万となっているから、平均よりは30万ほど高い感じがする。なぜそうしたのかと言えば、夫210万妻60万では昔も今も所得税がかからず、住民税もわずかで、記事の趣旨に合わないからだ。

 そこで、記事の趣旨を更に徹底するため、モデル夫婦は夫の年収300万妻70万しかも、国保保険料の高い大阪市と福岡市に居住としていた。

 これは、どう見ても変でしょう。税制改正前には300万の年金があっても(配偶者の所得がゼロのときは)所得税はかからなかった。つまり、2000年頃には妻が100万の年金で400万の収入でも税金を払っていなかったのだ。それを是正してきたのである。もちろん、納税者個人からみれば増税で負担が増えた。しかし、400万の世帯収入で税金を払わないのはおかしいというのが、今の考え方であり、このような高額所得者に負担をさせない道理などないだろう。日経の記事はこのことを捉えて、負担が増えて大変だと書いているのである。これはおかしい。

 国保料や介護料はこうした配偶者控除などの影響を受けないようにしているから、割高になる。これが高くなれば負担は増える。しかし、400万の世帯収入なら、50万の租税公課があっても楽勝である。これが70万になっても何の問題もない。つまりこのことによって高齢者の負担が増え問題が発生していると言えるのは、ほとんどいないのだ。大体、年金生活になって貯金が増えるなどと言うのは異常なのだ。多くの高齢者にとっては、「どこの世界の話しか?」という感じだろう。ところが、自分の年金の手取りも年々減っているから、この記事に影響を受けてしまい、最終的に、高齢者は虐げられているという気持だけが記憶に残るのである。

 高額所得者の問題を論じて、一般の人々の不安の背景とすることは欺瞞である。本当は現在高騰している国保保険料の問題を中心に論ずるのが筋である。

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年金破たん論は意味がない

 今回読売新聞が報じた「20年代年金破たん記事」がまたもや注目を浴びている。誰がこのことばを使ったかは知らないが、記事自体に大きな責任がある。もちろん、よく読めば「税金投入がなければ」という前提があるから間違いであるとは言えないが、破たんしてその後どうなるかについて何も考えていないで、ただ刺激的な「ことば」を使っているのが問題なのだ。ちなみに日経の記事にはそんな「ことば」はどこにもなかった。

 年金問題は将来的に問題が出てくるので、どう対処すべきか、という問題である。時間は十分にあるのである。第一、3千万人の人が受けている年金がなくなることなど実際にあるわけがない。もちろん、受給額の減額や支給開始年齢の変更などはありうるが、そのことは「年金破たん」とは言わない。マスコミの連中はどうしてもっと正確にものを言わないのか不思議である。この背後には、一定の金額を積立てそれを原資に給付しているから、積み立てたお金がなくなること=破たんという憶断が働いている。

 ところが実際の年金制度は賦課方式と言って、現役の保険料や国庫負担額を使ってそのまま年金給付するものである。本来は積立金などは不要のものだ。もちろん、実際には現在の積立金残135兆円を使いながら、保険料率を余り上げないで乗り切っていこうというのが現在の状況だが、いつまでたっても、読売のような議論がなくならない。

 現在の年金(共済含む)の収支は以下のようになっている。収入が保険料が32兆、国庫負担金7.5兆、運用収入や積立金取り崩しその他で6.5兆。支出が給付費45.5兆その他0.5兆。来年、再来年は埋蔵金から国庫負担を2.5兆程度増やし、取り崩しを減らすことになっている。 今年度の運用収入は大きなマイナスだから、積立金は10兆位減って、共済分を入れても125兆くらいになるかもしれない。給付費が増え、保険料収入が減って積立金が毎年10兆減れば、20年代初めには積立金はなくなる。ということを「年金再検討」は示しているのである。

 しかし積立金が今年のように10兆減るようなことは毎年続くことはありえない。運用によっては増える年もあるから、数十年はこのままでも問題ない。国庫負担の更なる増額を厚労省が言っているのは、それを更に数十年2100年頃までのことを考えた上でのことである。ちなみに平成16度年から18年度の運用益は15兆円、19年度にマイナス5.6兆円であった。20年度も大きなマイナスとなるが、それであっても長期の平均はプラスと考えるのが常道である。なぜなら、今年のような株価の急落がある年は何十年に一度あるかないかだからだ。もしこのことを認めないペッシミストがいて俺は年金など信用しないとしても構わないが、法律で定められた保険料は当然払うべきである。

 もちろん更なる少子化や賃金低下の影響で保険料収入が減っていくこともある。その場合は対策が必要だが、今回の「再検討」の出生率が高すぎるとか平均運用利率が高すぎるとか言って批判するだけでは生産的でない。もちろん、こういう数字が政治家の妙な圧力で決められるとすれば問題だが、将来のことは簡単に予測はできないので、どれが正しいとも言い難い、と思われる。

 2004年の年金改革では100年後には積立金はゼロになるとしている。それでは、その年には年金は破たんするのであろうか?そうではなく、厚労省は保険料と国庫負担で給付額を賄うとしているのである。そのことを読売の記事は理解していないことになる。そういう意味で、こうした「破たん論議」には意味が見いだせないし、出生率や運用率が悪化すれば給付の更なる削減は当然ということを前提で言えば、そうしたことばを使うことは「無用な不安」を呼ぶだけといえるだろう。

 

 

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2009年2月18日 (水)

無年金者問題

 毎日新聞の野倉記者の記事はなかなか信頼がおける。しかし2/17の記事は、加入期間が10年以上あるのに、無年金者になっている恐れがある人たちが27万人いるという見出しに強いインパクトがあり、ちょっといただけない感じがした。

 加入期間25年の問題が議論されることが多いのはわかるが、この問題には直接関係はない。問われるべきは、これらの記録が未結合になっている結果、無年金になってしまっている人がどれだけいるか、ということだけである。特に厚生年金に10年入っていて、国民年金に15年という場合では、国民年金が紛れていると、厚生年金も貰えていないわけだから、被害が大きい。しかし、未結合が10年未満でも、そのこと故に無年金になっている人もいるだろうから、10年で区切る意味はない。

 現在高齢者(65歳以上)の無年金者は40万人程度らしい。今後、増加が予測されるから問題になっているが、25年の期間を問題にするほどのことはない、と考えたい。第一、10年で加入期間が満たされるとしても、それを受給する人たちにとって、大きな支えとなるとは思われず、払った保険料が無駄でなかったという自己満足にしかならないだろう。無年金者問題の解決のための助けには全くならない。そういう自己満足より、自らの老後をどのようにマネージするかという個人の意志が大事である。そういう意志は40歳以降に芽生え、できるだけ多い年金をもらう努力をするということにつながるのであり、そういう意味では、現在の制度を維持した方がよいのである。

 また私の提唱している「希望の20歳台計画」で10年間の年金加入が保証されれば、アト15年保険料を払おうとする人が増加するのは間違いないから、将来の無年金者対策にもなる。経団連は消費税を財源とする社会保障の充実を打ち出しているが、まさしく「絵に描いたモチ」であり、アタマがおかしいとしか言えない。私は消費税は10年後に10%程度にすべきだと思うが、それ以上上げることは反対だ。その理由はそれ以上の担税力は国民にないと思うからだ。即ち、中福祉・中負担といわれるものに賛成である。だから、余り消費税を上げないですむ、現行年金制度を基本とした「20歳台優遇政策」を主張しているのである。

 

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2009年2月17日 (火)

後期高齢者を廻る状況

 先日の読売新聞の記事にリンクして12/2の記事があり、後期高齢者の人で年収はわずかだが、預金が5千万あるという例が載っていた。世帯分離が殺到しているということも書いてあり、各世帯の収入把握には、納税者番号の導入が必要とするなど私の主張と方向性が同じものだった。

 今の制度では、分離課税資産の収入や世帯全体の収入というのはさっぱりわからないようになっている。これは公平性(フェアネス)の観点から非常に問題がある。

未婚の子(女子)と両親がいた場合、父親が死んだとき、多くの世帯の筆頭者は母親になる。子が50歳母親が75歳になれば、世帯主である母親だけの所得が保険料の対象となる。

ところが、男子の子であれば父親死亡時の年齢にもよるが多くは子が筆頭者になることが考えられる。同じように子が50歳になり母親が75歳になったとき、保険料は世帯主である子と被保険者である母親の合計所得で保険料が算定される。このケースで子が結婚した場合でも世帯主の親となることは多いらしい。子が生まれれば三世代家族となる。

 上記女子の場合は結婚して家をでることが前提となっているからそうなるのだが、この女子の年収が何百万あろうと、母親に所得がない(老齢年金168万以下、あるいは基礎年金に加えて夫の遺族厚生年金)などの場合は、8.5割軽減となる。もちろんこれが男子であっても、世帯主が母親であれば同じである。また、男女を問わず一度住民票を移し、その後戻ったときに、世帯主を自分と母親それぞれにすれば(世帯分離)たとえ一緒に住んでいても、子の所得は保険料の対象に関係ない。これは介護保険料や介護費用にも適用されるので、現在、世帯分離が流行っているのである。

 この件は読売の記事でもモラルハザードを指摘している自治体側の意見が見られたが、これはむしろ(世帯)制度の欠陥とみるべきだろう。後期高齢者制度は無闇に軽減措置を追加してしまったから、すべての世帯で世帯分離ということになれば、900万人が8.5割軽減ということがありうる。来年度からは軽減制度が変わるようなので、事情が多少変わるが大きな変化ではない。老人を別世帯にすることは、心理的な抵抗もあるのですべてがそうなるとは言えないが、こんな曖昧なルールに基づいていたら後期高齢者制度・介護保険制度自体が悪くなくても批判が出てくるのは避けられない。

 

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2009年2月16日 (月)

後期高齢者の年収

 読売新聞記事に関連して2/13に211万以上の年金受給者が500万以上いてもおかしくないという推定をしたが、別のデータから考えると間違いらしいことがわかった。

 その推論は、現在の75歳以上の人口は1300万であるが、男子は450万しかおらず、多額の年金はほとんどが男子が受給している以上、500万になるはずがない、というものである。更に男子450万のうち、100万人は年金100万円以下、年金100万から210万円以下が100万人、残りの250万人が211万以上と推定され、女子と合わしても、280万人程度しかその額の年金はもらっていないと思われるのである。

 前回の推定の中では、世帯分離していない家族の老親が所得割の5割軽減に達していない場合が抜けていた(すべてそれ以上と考えていた)。均等割は世帯主の所得が被保険者の所得に加算されて軽減されるかどうかが判定されるから、後期高齢者に所得がない(年金収入153万未満)場合も5割軽減にも該当せず、均等割の8.5割軽減にも該当しないことが起こる。親一人と子の家族、両親と子の家族、三世代家族、のうち世帯分離していない世帯はすべてこのことが考えられる。未婚の子供以外では世帯分離のケースも多いと思われるが、先に除外した被扶養者であった200万人に加えて、さらに200万人程度がこのケースに該当してもおかしくない。そうすると年金211万以上というのは300万人くらいと考えてもおかしくなくなるのである。

 後期高齢者の年金額については、サンプル調査の他には詳しいデータがない。そのため実態を知るには、傍証から詰めていくことを強いられる。そのため余計な回り道をしてしまったが、要は実態を探り当て、それに基づいて正しい政策を考えることだから、いつでも反省は必要だ。

  

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2009年2月13日 (金)

リバースモーゲージ(毎日新聞記事)

 昨日図書館で読んだ毎日新聞に標題についてのものがあった。大変参考になった。自宅の土地を担保にして銀行から金を借り、死後には土地は銀行のものになるやり方だが、借り出した金の利息はその年に払う必要があるらしく、その金額は結構負担になる感じである。もちろん評価額が借用額を下回ってはならないので、その塩梅もみながら借り出すようになっている。小口は東京スター銀行が一番多いらしい。

 70歳くらいのご夫婦のモデル月間収支が載っていたが、ちょっと見には税・国保の額がかなり高いのがみてとれた。275千の支出のうち、5万円弱になっている。その他の支出も老夫婦の割には多目のような気がした。月4万円の借用金が本当に必要なのかイマひとつ納得感がない感じだった。つまり、切り詰めている感じがしないのである。不祝儀が増えているとはいえ、交際費年30万弱は多すぎるだろう。借金して香典を払っているのである。まあ、人それぞれだが。

 読売の昨日の記事のうち、企業年金の話しは私の理解に間違いがあったようだ。企業年金の補てん基準を緩和するというのが、正しいようである。訂正させていただく。

 もう一つの後期高齢者の年金額の話しだが、均等割の方には後期高齢者でない世帯主の所得もカウントされるので、以前被用者保険の被扶養者になっていた人などは8.5割軽減に入っていないことがわかった。現在、世帯分離によって多くの世帯が保険料逃れに走っているようだが、それは別とすると、当初その人たちは約200万いたから、211万以上の年金受給者は500万程度と考えられる。但し、これは世帯主だけでなく配偶者の場合もある、ということだ。

 これくらいであれば納得感はある。

 

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読売新聞の記事(後期高齢者制度他)2月12日

 この記事は現在の減免の対象になっている人たちの年金からの天引きが10月から再開されるというものだが、その中に、その対象者数が均等割8.5割軽減470万人所得割5割軽減90万人という数字があった。一部重複しているので550万くらいが年金210万以下だということを示している。

 ということは、無年金者や生活保護者を考慮しても、残りの700万人ほどが、211万以上の年金をもらっているか、その他の所得があるということになる。しかし、これはちょっと私の実感とは食い違っている。いくら私でも、後期高齢者世帯主の半分以上が一人で211万以上の年金をもらっているとは考えられない。しかも、遺族厚生年金や経過的寡婦加算は所得に算入されないのだから、軽減を受けている人の中にも、もっと多額の年金収入があるケースも多いのである。

 いくら考えてもわからないので、別の記事の話し。

厚労省は企業年金の積立不足の埋め合わせを3年程度猶予することを検討するという記事があった。大賛成である。2000年くらいから強いられた時価会計で、退職給付債務のバランスシートへの開示のため企業はひどい目にあってきた。企業年金への補てんもその流れで起きたが、企業年金の不足額が問題となるのは、当該債務の対象者が全員退職するというほとんど可能性がないことを想定している。もちろん、それを1年で埋め合わせるのは無理だから、10年とか15年とかで消却しているが、今回その年限を猶予するということのようだ。

 GMのように本体がなくなれば、年金などの企業による社会保障も危なくなる確かに、日本の場合はそういうことのないように企業年金法が考えられているが、まだまだ、過去に約束した給付額を賄うまでには時間が必要な状況だ。ここで企業が破たんしたら、法律の趣旨も意味をなさなくなるのだから、それなりの援助措置は当然必要である

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2009年2月12日 (木)

「団塊悪者論」を構成した一つの素因

 高原基彰という人の「不安型ナショナリズムの時代」という本を300円で先週手に入れた。76年生まれの若手がどういう論旨を展開しているのか興味があったのだが、特にこれといって魅力ある考え方をしているようには思えなかった。ただ、2、3年前まで隆盛していた世代論や団塊悪者論への批判的視点は悪くないと思う。

 ところがその高原でさえ、団塊世代への憤懣やるかたない心情を吐露しているのを見て呆れてしまった。1960年に生まれた連中が四十になったのは2000年だが、その前後から60年代生まれの論者のメディアへの露出が増えた。それだけの力量が備わってきたというのが理由であろう。それはそれでいいのだが、その中には団塊世代への故なき論難が多く含まれている。それが未だに広まっているらしいのである。

 そのやり方の一つが「全共闘運動」にシンパシーを感じていた一部の者たちが、団塊世代の代表であるかのような議論をしていることだ。「大学を破壊したものたちがその後企業戦士となった」というような言い方だ。昭和21年から24年に生まれたものたちは1千万くらいいたが、このことばに当てはまる者たちは、2、3万人もいない。範囲を広げて法曹界、マスコミ、大学や高校教員、公務員などに就職したものを入れても、10万人にもならないだろう。1%の者たちへの論難を世代論にしてしまうのは、三浦展のような根拠のない断罪をするのと同様、全く意味のない行為としかいえない。

 考えられるのは、論難者たちが大学の中の団塊世代の存在(鬱陶しさ)をそのまま「社会の中でのもの」と思っているのではないかということだ。弁護士や大学教員などはまだまだ現役を張っていられるが、民間企業では10年以上前からリストラにあっていたのも団塊世代だった。また、半分以上を占める女性たちの多くは、別に今になって定年を迎えているわけでもなく、世代論の対象にすらなっていない。第一高原がいうような「専業主婦」になったのは、団塊の女性たちだけではない。もちろんそうならなかった者たちも多い。更に「生活保守主義」の何がいけないのかが明白でない。こういう「大学のときは過激派だったのに80年代からは消費生活にどっぷり浸かっている」というような非難は仲正昌樹や宮崎哲也もしているが、自分たちがやっていることと引き比べてみれば、そんなことは意味がない「僻み」だということがわかるハズだ。

 今後はこうした非難も薄れていくだろうが、彼らの書いたものは残るから、彼らたちより若いものたちへの悪影響が懸念される。

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2009年2月10日 (火)

年金標準報酬月額改ざん(久し振り)

 今日の日経朝刊で中間報告が発表されたことを知ったのでネットで見てみたが、午後7時ごろになって朝日のネットニュースに初めて詳しく出た。日経の記事は何だかわけがわからないが、朝日の記事は大変明解だった。

 現在戸別訪問が続けられているのは、60歳以上の人たち2万人が対象。改ざんが強く疑われる69千件のうちである。4月から、全員を対象に標準報酬月額を示した文書を出すことになっているので、受給年齢に達していない49千人については、個別訪問はしないのだろう。

 2万人のうち、11月23日までに7790人の訪問を終え、その結果が発表された。訪問対象者の7割は事業主・役員で従業員は3割だけ。55%が事実と違うとしている中でその内の47%が訂正を申し立てたいとしているらしい。その数は2013人くらいということだ。この比率を69千人に適用すれば、18千人ということだ。

 ところで、第三者委員会の斡旋案件では、「改ざん事案」が全くでてこない。これは当事者がそのことを知らないからという理由であろう。その代わりに、いわゆる「遡及脱退」(遡り廃業による被保険者期間の短縮)は結構多い。処理を終えた5万件の中で1%くらいはある感じだし、当事者だけでなく他の従業員にも関係するので、数千人は被害を受けているようだ。

 「改ざん事案」は4月以降に申し立てが増えるのだろうか?恐らくそうだろうが、どれくらいの規模になるかは簡単には推測できない。受給年齢に遠い人たちはあまり関心がないから、殺到することはないような気がする。しかし、既にどの事業所が関係したのかはほとんどわかっているのだから、そういう案内を出すのが当然だろうから、そちらからの調査結果を社保庁に求めるべきだろう。つまり、疑惑事業所単位の調査ということである。

 いずれにしろ、「改ざん」に社保事務所が関わったのは間違いないが、その問題とは別に被害の範囲を至急限定することも重要である。政局絡みで大騒ぎする民主党の意向に反して、段々問題の実相がわかってきたようだ。少なくとも何十万人が改ざんされたなどということはあり得ないだろう。但し、事業主が多少少なめの報酬を届けていたなどのケースはそれくらいの数はありそうだ。だが、それは従業員も知っていたということになり、この問題とは別である。(第三者委員会ではこうしたケースは退けられている)

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2009年2月 4日 (水)

金融資本主義を否定すれば日本はよくなるのか?

 昨今の小泉・竹中改革の否定論議をみていると、抵抗勢力の巻き返しとそれに悪乗りした政治家の世論迎合が感じられる。しかし現在でも、郵政民営化について都市住民にアンケートを取れば、圧倒的に支持されるのは間違いないのに、あたかも、もはやそれが支持されていないかのような”風”に政治が支配されている。その元凶は民主党である。現政府はそれほどバカではないので、曖昧な態度を続けているが、鳩山などの目立ちたがり屋が麻生の意を汲んでちょっかいを出している。

 郵政民営化は”金融資本主義”の結果なのか?そんなことはないだろう。私は東京の市部に住んでいるが、この地区にも田中角栄に始まる経世会の政策により80年代から特定郵便局が無数にできた。中には住宅地域内で、自宅兼用の世襲できるようになったものもある。確かに家の近くにできれば便利であると思う人もいるだろうが、何かおかしいと感じていた人も多いはずだ。その結果が郵政選挙に現れたのである。

 また、近くの多摩川にかかる橋も、40年間で倍以上の数になっている。確かに便利にはなったが、本当に必要なのか疑問を感じている。

 こうした自民党政治を小泉は否定して見せ、それが支持された。ヒズミが出ているのであればそれを手当すればよいのに、根本から間違いだったという論調が目立っている。困ったことだ。

 たとえば「会社は株主のものだ」という思想は、4、5年前は力があったが今ではその面影はない。だが、その思想が100%間違いであったという人も、当たり前ではあるが一人もいないだろう。株主が一定の影響力を持つのは今では当然であると思われている。しかし、支配株主になれば何でもできるという考えも正しくないし、その正しくないという考えにもとづいて、企業統治が行われねばならない。

 レバレッジを利かしている投資ファンドでは短期間で利益をあげなければならないという与件がある。ところが、会社経営を行っている人間は、すべてのステークホールダーがハッピーになることを第一に考えるが、時間の尺度は株主によって定められるものではありえないのである。ここに投資ファンド側とそれ以外の利害関係者との認識に食い違いが出る。それをすべて投資ファンドの方が正しいとするのは、明らかに間違いだった。

 そのような「濫用的運用者」を否定(規制)したことによって、日本は、今回の「バブル破裂」の金融被害を少なくできた。しかし日本の景気は盛り上がりが少なかったし、盛り上がっていた欧米に(アジア経由も含め)輸出することでかろうじてGDPを維持してきただけである。

  これからの数年は厳しい状況は続くが、一定の限度で規制は緩和し、外資のみならず若手ヴェンチャーの起業を更に促進すべきである。票が欲しいばかりにわかりやすい言説に偏る政治家やアホばかりのマスコミに厳しい目を注がねばならない。一方でそうしたマガイモノの言説に幻惑され続けている世論も批判しなければならない。

 

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2009年2月 2日 (月)

年金物価スライドのツケが解消されないのは納得できない

 厚労省は年金改定率に使う「名目手取り賃金変動率」が1.009であると発表した。18年、19年,20年は基礎年金法定価格が778600円だった(19、20は改定率1.00だった)が、21年度は、改定率が1.009になり法定価格は785600円になる。(物価変動率1.014と名目手取り賃金変動率がともにマイナスでない時は小さい方を選択)

一方では特例物価スライドに基づく従前額の方の改定はない(物価が下がったときだけ引き下げる)ので、792100円。この二つの差は6500円となった。

 この6500円が解消されるまで、従前額が保証される。従前額は物価が上がってもあがることはないので、いずれは逆転するだろう。しかし、08年のようなことはしばらくないだろうから、物価の状況と賃金の状況によっては、アト10年間逆転しないこともありうる。

 平成16年の改定でマクロ経済スライドを考えだしたとき、このような状況が続くとは誰も考えなかったのではないか?本来(平成14年以前)であれば、1.7%の物価上昇が18,20年度合計であったのだから、チャラになっていいはずである。1月22日の記事はその理解で書いたものだが、法令上はそうなっていないことがわかり、その点は訂正しなければならないとはいえ、納得感はない。つまり、この改定率を1.7%の埋め合わせに使うことの意味がはっきりしないのである。

 厚労省を初めとして「改定率」を算定するのに必要な「名目手取り賃金変動率」の採用自体は「マクロ経済スライドではない」と言っている。しかし、従前の物価スライドとは異なって、全厚生年金被保険者の標準報酬額を使った実質賃金変動率や、厚生年金保険料被保険者負担分を使った可処分所得割合変化率を掛け合わせ、「名目手取り賃金変動率」を算定しているから、準マクロ経済スライドが適用されていると言っていいはずだ。多くの解説書は調整期間に入った後に適用される、公的年金被保険者数変化率と平均余命の伸びを勘案した改定率及びスライド調整率の適用をそう呼んでいるようだが、この区別がはっきりしない。

 それは別としても、「名目手取り賃金変動率」によって、実際の基礎年金額等が影響を受けてきており、実質的には21年度以降の年金額に影響することとなった。その意味は、1.7%が解消されたのに依然として年6500円高い年金を支給し続けることになったということだ。賃金や所得に関連付けて年金額を調整することはよいのだが、それが、1.7%の解消にも使われたためこんなことになってしまった。

 今回の”事件”で、1.7%の解消がされなかったことを厚労省は何と説明するのだろう。「法律にそう書いてある」としか言えないのではないか?専門家を別とすれば誰でも「物価が1.7%上がれば解消」と思っていただろうから、キツネにだまされた感じだが、受給している老人たちには嬉しいことなので、政治問題化はしないのはハッキリしている。しかし、それでいいのか?一人6500円でも2000万人の受給者には年1300億円を余計に支給しているのである。

 前にも言ったが、95年に65歳以上であった現在78歳以上の人たちは、優遇されすぎている。その後に続いたご老人たちも、95年の大判振る舞いの恩恵を受けてきた。平成16年改正ではそれを是正することになったのだから、一刻も早くそれをやるべきである。年金でできないのなら、配偶者が死亡して5年以上たった65歳以上の妻の受給する遺族年金に課税したり、公的年金等控除を20万引き下げたりすればよいだろう。その根拠は、現在の老齢層には十分な年金、及び金融資産・その他資産があるということである。景気対策から言っても年寄は欲しいものがないから貯め込むだけなので、そこから引きはがし、若年層に援助すべきである。

   

 

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2009年1月29日 (木)

協会けんぽ保険料の県別格差

 日経は標題についての報道を詳しくやっている。10月から保険料率が県ごとに差をつけることになっているから、自民党の中で検討しているということだ。厚生族議員の中には差をつけること自体に反対だなどと言い出す抵抗勢力が多少は勢いを盛り返しているようだ。結局は、少し差をつけるということで、決まるのだろう。

 医療費問題のところで触れたように、北海道や九州、中四国、一部近畿では、医療費が高い。一方、病床数や医師数が多い。医療サービスは充実しているのである。それらのところでは、その結果、医療費が多くかかっている。

 協会けんぽ北海道がそうした実態をうまく分析したレポートがネットに出ている。その中に、平均標準報酬が安い北海道がより多くの医療費を使っていることを明確にしたものがあった。一人当たりで23千円安いのに、35千円も高い医療費を使っている。

 このことが、平均で一人58千円を得をしているということを示している、とは簡単に言えないと思う。給料が安いのは誰の責任とも言い難いからだし、入院が長すぎるといって、早く退院しろともなかなかいえないということもあるからだ。しかし、こういう実態を明確にし、議論することは絶対必要である。なぜなら、国保では既にかなりの格差がついており、協会けんぽ(政管けんぽ)だけが全国一律でなければならない明確な理由付けなどないからだ。

  実際の額で言えば、370万の年収で考えれば、0.5%上がる北海道(8.2から8.7)では年18500円、本人の負担はその半額である。100人雇っている事業主にとっては925000円の増加になるから、苦しいことはわかるが、それは、経済の状況からいっての話しで、別の論理である。一方では、0.5%下がる長野県では、歓迎すべきこととなる。

  北海道のレポートは平成18年のデータに基づいているが、長期にわたって払う額は少なく、受けるサービスは多いという状態は続いてきたのである。これを至急是正するのが政治の役割であるし、国保の実情はその方向を示している。これを逆戻りさせることなど、許すべきではない。

 

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2009年1月28日 (水)

鳩山は文句があるなら自分が購入しろ

「かんぽの宿」問題には困ったものだ。鳩山が一人でつっぱっているのかと思ったら、キャスターやらの中に妙に支持者がいたりしている。

 鳩山は安すぎると思うなら自分で買って、2年後に売り払えばいいんじゃないの。入札をしておいて、そんなことを言い出すなど末期的だ。

大体、マスコミの連中は法の手続きを何だと思っているんだ。いつまでたっても、グリーンピアの批判を持ち出しているくせに、毎年50億円の赤字を出すものを売り払うのに、文句があるはずはないだろう。

価値というのは買い手が同意したものを言うのであってそれ以外ではない。

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大阪府市町村職員健康保険組合は保険料等を公開しろ

大阪府市町村職員健康保険組合というのがあるらしい。3、4年前から共済組合、互助会の三者が統合へ向けて動いていたようだが、未だに存在しているようだ。名古屋市の場合は共済組合に昨年統合されたが、一体どうなっているのか?

 この組合はHPもないから、一般のものには実態がわからない。厚生統計協会の出している「保険と年金の動向」という本があり、私も大変参考にしているが、地方公務員共済組合の短期給付(健保給付)の資料のうち、大阪府のものが空欄になっている。驚くべきことに、この本が出始めた20年以上前からそれが変わっていないのだ。確かに名古屋市健保の分も載っていないから、大阪府のものが載っていないのも不思議ではないが、ふざけた話しである。(組合健保連に一緒になっていることは考えられる)

 ところで寝屋川市の国保の平成19年度の単年度赤字は約1億4千万、累積額 37億8千万円である。仮に寝屋川市職員1669人の所得が200万で配偶者1名のときの国保保険料(介護除く)35万円を全員が払えば、5億8千万である。当該職員の医療費等に半分かかるとしても、2億9千万は国保勘定に残るのである。

 しかも、もし35万が100%本人負担であるなら、市は健保保険料の負担金を免れるから、その分も財政が良化する。本来であれば、それが正しい理路である。

地方公務員法などにより、法的にはこれは認められないだろうが、寝屋川市の住民がこれを求めるのは当然の権利である。こういうことを書くと共産党の主張に似てしまうので余り書きたくないが、自分が払っている保険料はあいまいにしたまま、法外な国保保険料を住民に請求する態度は許し難い。

 

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2009年1月26日 (月)

「希望の20歳台計画」への各世代の感想

 急遽2010年より「希望の20歳台計画」が施行されることになった場合に予想される各世代の感想を推測してみたい。なお、2.5%の消費税増税は年収200万円で約4万円である。但し家賃を払っていれば、消費税を払わない支出が増えるので、多少減る。

 「75歳台以上」・・・「消費税の負担が増えるので、20台の孫からお年玉をもらいたいところだが、孫のために我慢したい」

 「60歳以上」・・・「しかたがない」

 「50歳台」・・・「子供が恩恵を受けることもあり、我慢する」

 「40歳台」・・・「子供に恩恵あるのはいいが、自分も年金のことを真剣に考えたい」

 「35歳以上」・・・「将来、自分の子供ひいては自分にも恩恵があるので我慢する」

 「27歳から34歳」・・・「何で自分たちは損を被るのか納得できない」

 「20歳から26歳」・・・「何か得した感じ」

 関係者の声(仮想取材)

 国、地方、私学の各共済組合の短期給付部分の事業主分(約200億円)については、国の国民年金勘定に移すことができるようにするべきだ。

 厚生年金の国年保険料以下の分や、協会けんぽ、組合健保分の事業主分は各企業の負担金を減らすことになるので、大変よい。

 各自治体も、国保財政の悪化を食い止める名案だ、としている一方で、子供が未成年の方が国保保険料が高いという妙なことになってしまう、と批判。

以上

 

 

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基礎年金の2分の1を国庫負担とするとはどういう意味か?

 埋蔵金を投入し09、10年度の表題の内容を実現することになったが、それを報道する記事に触れられる国民年金保険料の全額免除期間の年金給付を2分の1にするという話しには笑ってしまう。社保庁のリークをそのまま報道しているのだろうが、この制度は、財源とは無関係とは言えないが直接の関係などない。第一、今年59歳での人が免除を受けてもその人が年金を受けるのは6年後であり、そうした該当者は何人もいないし、仮に1万人いたとして増えるのは年13億強というわずかな額である。もし、20台の若者がその制度を利用するとして40年前後先の話しである。それまでの間も毎年その増額された国庫負担が投入されるのだから、何の説明にもなっていないのは明らかだ。

 確かに今まで3分の1であった全額免除期間の年金額を2分の1にすることはある意味賛成だし、私の主張は、20歳から10年間の保険料をただにしろというものだから、年齢の行った人たちにはいいことかもしれない。しかし、若い人に免除申請すれば半分年金をもらえるから申請しろと言っても、年金制度に不信感がある彼らは無視するだけである。だが、それを全員無料化すれば流れを変えられる。30歳以降になれば多少は年金への関心が高まり、免除申請も含め納付への関心が高まるだろう。

 20台の第一号被保険者は500万人くらいだろう。その保険料の総額は8.5千億円である。更に、第2号被保険者の分をどう考えるかだが、事業主、本人双方とも、国年保険料分を差し引くことにしたらよい。(マイナスのときは保険料タダ)。その分が第2号被保険者800万人とすれば、1兆3千億円となり合計でも2兆1500億で消費税1%で可能である。

 問題は移行時に対象外となるものや(特に既に保険料を払ったもの)、25歳とかの途中から対象となるものたちの不公平感であるが、これは、様々な人たちが提言している基礎年金全額税負担構想と同じように簡単に解決できるやり方は見つからない。しかし、問題の解決にかかる費用もそれらの構想よりずっと少額で解決できるのは間違いない。

 ところで制度導入時に消費税1%を投入するという場合、対象者はまだ年金を受給するわけではないのに、なぜ即座にその税金が必要なのであろうか?

これは冒頭の国庫負担金アップの話しと同じで、大枠の年金の給付と負担の状況のせいだとしか言えない。現在の給付を賄うにも1号被保険者でしっかり納付している20歳台の人たちの4千250億円も必要なので、少なくともこの分は手当しなければならないし、移行に伴う対象外の人たちへの費用も必要になる。当然、未納対策も必要だ。

 国保や政管健保、組合健保については、上限一人につき年10万まで国庫負担とする。国保以外は事業主分2万、本人分8万とする。1300万人に最大1兆3千億円。国年と国保で消費税1.5%が必要になるだろう。(被用者健保の被扶養者を除くとする)

現在の厚労省の主張する1%の基礎年金国庫負担も、この制度を導入すれば、削減できる可能性はある。理由は第1号被保険者が増えること。そのため、基礎年金拠出金単価が下がるからだ。国庫負担金の一部がこの制度の国庫負担金で代替されるということである。

 現在の経済状況から言えば今後20歳台の給与が上がることはあまり考えられない。年収200万前後の「希望のない層」がますます増える可能性がある。それを防ぐためには、これくらいの思い切った措置が必要だ。

 

 

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2009年1月22日 (木)

年金額再裁定の処理順の原則を示せ

 最近の年金問題の取り上げ方は、「再裁定に時間がかかりすぎる」というものが多い。社保庁が何をコメントしているのか、各社の記者が何をきいているのかも不明な記事も多い。無年金者が報われるはずだったのに、年金が払われる前に死亡してしまったというような記事も多いが、何故「処理順の原則」を問うた記事がないのか不思議である。

 年金の回復と言ってもわずかな期間のものとか、まだ、受給年齢に達していないとか、達していてもまだ僅かしかたっていないとか、の場合はアト回しでいいのではないか。年齢が高く、金額が多額のものが優先的に処理されているか、さっぱりわからないし、新聞記事にもそういう提言もない。

 もしかして申し立てした順番にやっているんじゃないだろうね。その辺をはっきりしてもらいたいものだ。

 第三者委員会の斡旋案件の中には、厚生年金が1カ月欠けていたというものが非常に多い。しかもまだ60歳前のものもある。本人にとっては重大なことなのは理解できないことはないが、こうした案件も高齢、高額の人から処理すべきであろう。

 こうしたことを斟酌せず処理率だけを示した記事ばかりなのには呆れてしまう。

20日、09年度の年金額が08年度と同じになりそうだということが報じられた。多少は物価が上がっているが、過去(H12,13,14年)に無理に維持した分のツケ(アト1.4%)が残っているということだ。これが解消されたかどうかは、月末に明らかになる。

 ところで、平成6年に自社さ政権によって老齢基礎年金の大盤振る舞いが行われ、40年加入で前年の747300円から78万円に引き上げられた。その後も平成11年まで毎年(物価等に連動した)増額改定が行われ、それは804200円までになった。この経験をした80歳以上の人たちは、年金は増えるものと誤解していたキライがある。それを助長したのが上記の3年間の最高額の維持である。

平成16(15)年797000円、17(16)年794500円、17年変わらず、18年変わらず(792100円)、19年792100円(変わらず)、20年度変わらず、21年度変わらずということになっている。この(四)つの「変わらず」のうち20年(19年)度のものは、19年(18年)度物価が0.3%上がったが年金が増えなかったものである。(そのため、1.7%の政策的維持分が1.4%になっている)(1/30訂正)

このように、平成12年度以来物価は上がっても、年金が増えない状況になっていて、ご老人たちの心配の種になってきた。しかし、よく見れば、現実には大して下がっていないのだ。しかも物価は下がって来たのであり、年金の貨幣価値自体が減ったわけではない。確かに、介護保険料が引かれるようになり、通帳に記載される額は減ってしまっているのも事実なので気持は理解できないことはないが、その気持ちに”正義”があるわけでもない。特に、後期高齢者の保険料は国保からの移転であるから(そうでない人もいるが)、引落額が増えたといって嘆く問題ではありえない。

 

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2009年1月19日 (月)

国保保険料の実態に迫る(2)

 所得100万の年金高齢者などを擁護する理由はないことは明らかになったが、もしこれが若年の給与所得者の場合だったらどうだろうか?被用者保険に入ってもいい人たちでも、何らかの事情(主に雇う側の事情)でそれに入らず国保に入っている場合が結構あると思われる。親元にいても、親が被用者保険対象者であれば、一人だけ国保に入ることになる。これらの人は年収が166万のとき、所得が約100万となり、40歳未満であれば、国保保険料166600円だけが課される。前年にも同様の国保料、17万の国民年金などを支払ったとすれば税金は4万程度になるから、租税公課は約40万ということになる。自分の自由になる金が126万。20台前半であれば、満更ではないかもしれないが、すぐに国保・国年が鬱陶しくなる。アルバイトでは昇給もままならず、益々、その気持ちが募ってゆく。 一見自由にやっているように見えるが、これでは、希望は生まれないだろう。

 一方、同じ年収で独立単身者の場合は、家賃を50万払えば直ぐに生活費に事欠くことになり、国保や国年は不払いになるだろう。給与に比し負担が大きすぎるのは明らかだ。社会保険料を払っていなければ税金は8万くらいになるが、それでも可処分額が158万(引く家賃)になるから、病気をせず、年金も無視すれば、つまり、目の前のことだけを考えれば、何とか暮らしていけるという状態だ。

  ところで若年独立単身者で問題とされることの多い年収200万の場合はどうであろうか。この場合、所得は122万、国保料は197千となる。国年も共に納付している場合税金は7万くらいだろうから、租税公課44万であり、可処分額が156万、家賃を払っても、楽ではないが何とか生きていけそうな感じだ。それでも多くの人は国保は払っても、国年は払わないだろう。もちろん国保も払わないことも十分考えられる。(国年半額免除の対象である)

 年収200万の人を貧困層とは言えない、と思う。しかし、希望がないのは、166万の人と当面それほどの違いはない。また、166万の人も意欲を出せば年収200万になると思うが、それをして保険料を払おうとする人などほとんどいないだろう。その結果、国年の未納が広がる。

 年収200万の人は貧困層ではないが、希望のない層である。正社員であれば今後年収が増えることもあるので除外してもいいが、そうでない比率が上がっているのも確かだ。

 貧困層であるのは、独立単身者で年収100万以下の人たちであろう。その人たちへの対策は、生活保護の他にも何か考えられねばならないが、第一にそういう人がどれくらいいるのか知る必要がある。

 また、年収100万から200万の層で、独立していて、今後給与の上がる見込みのない人たちがどれくらいいるのか、知らねばならない。この層に一定期間、国保、国年への公費投入が行われれば、効果は高い。現在のような中途半端なものでは晴れ間は見えないだろう。

 このように単身者についも、高齢者より、若者の不正規雇用者への対応が必要であるのは明らかだ。今日の日経の記事では、高齢者の生活保護の増加が報じられているが、これについては過去のツケであり、生活保護以外に方策はない。だが、その人たちを除く、様々な優遇策で守られてきている高齢者を擁護し続ける共産党、民主党その他は大いに反省すべきであろう。今回の給付金騒ぎで明らかのように、高齢者が生活に苦しいなどというのは偽りだった。夏頃までの物価高騰時には信憑性があったが、それは別の話しで、それがなくなったら、自分のところはいらないという世論が巻き起こっている。後期高齢者医療制度は引き続いており、そんなに苦しい高齢者がいるなら、当然、給付金をもらいたいとデモでもしたらいいではないか。共産党はこれを糊塗するためにいずれ消費税をあげるからこれには反対だと論理のすり替えをしてごまかしている。

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2009年1月15日 (木)

国保保険料の実態に迫る(1)

  大阪社会保険協議会(共産党系と思われる)の08年8月作成の資料で大阪府下各市の平成20年度国保保険料をネットで得ることができた。所得が100万、200万、300万と分かれており、その内部で毎日新聞がアンケートで使った40歳台夫婦+子二人、それに高齢夫婦世帯、高齢単身者の3つに分けて計算されている。

 寝屋川市はすべてのケースで最も高いし、作成者の意図も「こんなに高いんですよ」と言いたいようだが、個別に見てみれば、必ずしもそうでもないことがわかる。

 例えば高齢単身者で所得100万のケースである。年金だけの収入とすれば、それは220万になる。この表によれば国保保険料166600円であるが、介護保険1号被保険者保険料が55680円あるので計222千円となる。税金は私保険の保険料にもよるが5万程度だろうから、可処分の金額は193万程あることになる。債務や家賃が多くなければ、何ら問題があるものではないし、かなり楽勝のケースではなかろうか?

 ただ年金220万という人はそんなに多くはない。これからは男性で190万くらいが平均的だ。その場合、所得は70万になり、所得税、住民税はほとんどかからない。国保料の軽減はないが、125200円であり介護分55680円を加えて約18万である。可処分所得は172万となるが、これでも苦しいとはいえないだろう。

 女性の場合は老齢厚生年金が90万、基礎年金70万くらいが普通かも知れない。そのとき、所得は40万となり均等割り、平等割が2割軽減となる。税金はかからない。国保6.9万円、介護55680円で計125千円程度になる。可処分所得は145.5万円であり、これでも必ずしも苦しいとは言えないはずだ。

 ということは高齢単身者では、「生活の苦しさ」を中心に考えるなら、この表に意味はなく、もっと所得の低い人のケースを乗せる必要があるということだ。逆に考えれば、この表を示して「国保保険料が高いから生活が苦しい」というストーリィを作るとほころびが出るということだ。それなのに共産党はなぜそんなことをするのか?国保保険料が高すぎることを示すことができるからである。ところが、共産党が問題にしている人たち(低所得高齢者)はこの表の外にいるのだ。

 ちなみに上記の3件の単身者が75歳になり後期高齢者の保険料に切り替わるとどうなるか?220万の人は96千円+介護、190万の人は55800円+介護、160万の人は、13千円+介護となる。(その将来の時点では多少のアップはあるだろうが、一人当たりの保険料は後期も介護も極端に上がるようなことはないはず)

 これは(220万の人の)国保保険料が一番高い寝屋川市だから下がっているのではなく、箕面市以外は後期高齢者保険料の方が安くなっているのだ。もし、民主党が政権を取って、元の国保に戻すと言ったら、どうなるのか見ものである。

 そのことは置くとして、65歳以上・高齢単身者の保険料が少ないのは、言うまでもなく公的年金等控除が120万あるからだ。5年前まではこれが140万だった。如何に70歳台以上が優遇されていたかの一つの証だが、120万でも凄く影響しているのがわかるだろう。しかも、これらの人は年金保険料を払わない(介護保険料は払っているが)。更に持家率も9割以上、金融資産もかなりあると考えられる上に220万の年金では毎年黒字になるはずである。

 これ以上何をのぞむのだろうか?

 

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2009年1月14日 (水)

医療費問題の難しさ

 「矢野恒太記念会」発行「データでみる県勢」2009によると県別国民医療費の一人当たりの額の高い方から並べると北海道、九州、四国、中国の各県が軒並となる。老人医療費で悪名高い福岡は意外と少ないが、若い人が多いこともその理由となっているのだろう。

 これは別にこれらの地方の人々が病気がちというわけではなく、病床数や医師の数など医療体制が整っているところほど、医療費がかかるという当り前と言えば当たり前のことが起きているのだ。逆に考えれば、医者を減らし、病院を減らせば医療費は減らせる。

 しかしこれに賛成する人は誰もいない。逆に、医者を増やし、病院を増やせという意見が勢いを持っているのが今の状況である。だがそれには財政的な限度があることは、誰でも認める。そのことに反対はしない。ところが、具体的な限度の議論になると共産党のような限度拡大派の議論は”青天井化”してしまうのである。

 老人医療費(後期高齢者医療費)や国保の県別医療費の明確化を通じて一定程度の傾斜負担を求めている今の制度はいい方向だと言える。

 そうした厚生行政を「悪代官」に見立ててゲリラ戦を続けているのが共産党軍である。「国保崩壊」という5年前の本も、その作戦の模様を描いている。「実態をルポしている」かのように仕立てているが、取材しているのは各地の「民商」「民医連」などの仲間うちだけで、伊藤周平と平仄が同じだ。

 医療費問題は「自民党・厚労省・国保官僚」の「悪の枢軸」を倒せば解決するという問題ではない。財政状態を無視し、財源には、法人税を上げろ、国防費を下げろといった無責任な議論をする人たちに、解決方法を託せるわけがない。合理的な議論をするためには、資料となる数値の透明化が必要だ。これはそれを出してくる厚労省の側だけを言うのではない。それを”資料批判”する側のイデオロギーからの脱却も意味している。イスラエルとアラブの対立のような対立は国内の行政にはありえないことを、左翼マスコミや左翼政党はまず最初に身に沁みて認識すべきである。

 ところが彼らは「労働者が一番偉い」という自分たちの信仰に誤りがあるはずがない、と未だに思い込んでいるのである。逆の面から言えば「最近になって貧困者が増えている」と言って(自分たちの支持が増え)喜んでいるのである。

 東ドイツがあったため、このような惰性的なイデオロギーが育たなかった西ドイツではもっと実のある政策論争が行われた、と聞いている。それをある程度日本で実現してきたのが田原総一朗であるともいえるが、その田原でさえ現在の状況を古臭い思想的意匠で語ろうとしている。今行われるべきは、アブクのような右翼批判ではなく、筑紫などを含めた左翼思想の埋葬である。共産党への理解ではなく、それの批判である。

 

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2009年1月12日 (月)

年金崩壊を煽ったマスコミの責任

 日曜日の日経新聞に「社会保障」に関するアンケートが載っていた。制度の持続性について「10年以内に破綻する」とする回答が三分の一あったという。この質問も曖昧だが、「破綻する」の主語は「年金制度」しかないだろう。30歳台以下では半分以上がそう思っているということだ。

 5年前の議論でのマスコミや一部の学者たちにその責任はある。最近になってもまだ「年金制度は既に崩壊している」などという意見をテレビでいう奴もいる。5年前にはそう云っていた金子勝は、間違いに気づいて最近は何もいわなくなったが、金子の説を真に受けた連中が今でもそう思い込んでいるというわけである。

 「年金制度は崩壊しない」という私の主張の根拠は大変シンプルなものである。それは「受給権者が今でも5千万人もいるから」というものだ。「自分の生活が危機に瀕するような政策に賛成する人はいない」。(1/15訂正:受給権者は受給年齢に達して裁定請求した人を指す。5千万人はその人たち以外に年齢が来れば年金がもらえることが確定している人たちも含んでいる)

 確かに普通の保険のように預かった保険料を運用して原資としそれを給付すると考えれば、運用がうまく行かなかったり、新しい契約者が出てこなかったすれば破綻することもあるだろうが、年金制度はそういうものではないし、日本国民が存続するかぎりなくなることなどないのである。というのは、年金の給付額は現在の被保険者(現役)の払う保険料と税金によって大部分が賄われているからであり、現役被保険者が全員保険料を払わないと言わない限り、制度は存続するからだ。そしてその「被保険者全員」が「払わない」というわけがないのは、アト15年で年金がもらえる歳になれば誰だって「払おうとする」し、親のために払おうとする者も多いはずだからだ。更に65歳以上の受給者もいるから、多数決では決して負けることはなく、維持しようという政策が必ず勝利するのである。そしてその政府は「払いたくない」と言っている人たちからも保険料を徴収する権力を持っているのである。

 もちろん、受給額の減額や給付開始年齢の繰延べなどの微修正や消費税の導入などはあると思うが、それがどうして「年金崩壊」ということになるのか?こういうことを言って、「自民党政権」を倒そうとする「別の意図」を実現しようとした連中を許すべきでない。そういう「野党」ばかりだから議論が前進しないのだ。その尻馬にのって大騒ぎした「マスコミ」の責任が問われるのだ。

 以上の実態を私が認識しているからと言って、年寄りの世代がそれを当然であるかのように考えることには大反対である。年金額の減額が必要だし、消費税を使ったある程度の国庫負担の増額、そして、若年層への支援としての10年間の保険料の無料化を行うべきだと考えている。

 それを行うには、高齢者たちの生活の実態が検証されねばならないし、国保制度を中心とした医療制度の改革が是非とも必要だ。

 

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«価値を生むのは労働者だけか?