後期高齢者医療制度の見直し
舛添と麻生が制度見直しを打ち出したとのことだが、困った人たちだ。高齢者の票がほしいだけなのだろう。この頃の風潮は「小泉改革の負の遺産」の話しで持ちきりだが、「小泉改革」がなかったら、日本は沈没していたことを忘れるべきでない。
地方は疲弊しているという。しかし、これを救う魔法のランプなどどこにあるのだ。あるのは間に合わせの「将来に付けを先送りした」束の間の公共事業だけだ。その束の間息をつける老人はいいが、将来の負担を負う若年者はたまったものではない。ところが若年者は票にならない。票になる高齢者に阿る政治家が蔓延する。
それは野党も同じ。みのもんたも自分のお客に阿ることばかり、といってもみのの番組はほとんど見ていないので、正確にはコメントできないが。
この制度は私からはよくできていると思える。医者の批判している部分については正直よくわからないが、保険料の集め方については、全く問題ない。第一に200万人の被用者健保の被扶養者から金をとるのもよい。このケースでは、被扶養者は世帯を別にして独立した方が保険料が安いので、みんなそうなるだろう。扶養されていない基礎年金だけをもらっている人の保険料は月額900円である。ところが、国保や被用者健保に加入している子供の同世帯被扶養者になっていると、月額3100円を払わねばならない。そうすると、後期高齢者になる直前に所帯を別にすればいいことになるが、今度の制度では前期高齢者の加入人数に応じて負担金が算出されることになったので、被用者保険ではそういう被扶養者を排除するようになるのは間違いない。
従って高齢者の被扶養者が減少することになり、国保の被保険者が増えることになる。そうした人たちもすべて吸収した上で国保の改革がおこなわれるべきであろう。そういう意味でもこういう方向性に私は賛成だ。
被扶養者とは何なのか?子供(18歳未満)、障害を持つ家族・親族、学生、収入のすくない主婦は間違いなくその概念に含まれるが、親というのはどうなのだろうか?年金制度自体が子が親を扶養するのを否定した考えであるのに、健保制度にその考えが残っているのはおかしいのではないのか。実際、今の日本で子が親を扶養している家族など存在するのだろうか?75歳以上の親である被扶養者が被用者保険の被保険者に養われているケースは200万人もいるらしい。国保の被保険者とちがいこの親たちは保険料を払っていないのだが、これは不公平であろう。65歳以上の前期高齢者にも同様な人たちがいるが、被扶養者の概念がはっきりしていないので、十分な収入があっても厳正に審査が行われず被扶養者とされているケースが多いと思う。例えば、厚生年金受給夫婦で子と同居していれば、十分に国保など保険料も払って自立して生活していける。被扶養者ということはできないのだ。
厚労省はまずこのことを是正すべきなのに、反発を恐れて、搦め手から是正しようとしたのだと思われるが、それがよくなかった。明確に高齢者にも負担を求めるよう説明すべきであったのだ。
ところで、今年の春みのもんたを初めとして年金からの保険料天引きがよくないという大騒ぎが起こり、今回の見直しにもそれがはいっているが、小学生じゃあるまいし、真面目に論じる気にもならない。更に75歳以上を分けたと言っても便宜上分けたのであって、罹患率などの統計以外、さして合理的な根拠はない。要は、老人医療費の削減が狙いであるのは、共産党の言うとおりである。だが、私は「青天井」に医療費を浪費すべきであるかのような<善意の主張>には恐ろしい悪意を感じる。しばらく前には薬の大量使用がよく批判されていたが、ここ数年そうした批判は余り聞かなくなった。それでも依然として、飲みきれない薬を処方されている高齢者はたくさんいる。余った薬は捨てられているのだ。
こうした医療費の無駄使いと”十分な医療”の仕分けは簡単ではない。明確なのは「十分な医療を老人に施せるほど国の富はない」ということだけである。
従前の制度では、医療制度の赤字を地方自治体の一般財源から補てんしていたが、その割り合いは減ることになっており、それについては自治体側の賛意が強い。共産党などはそのこと自体に反対しており「老人と一緒にあの世行きでも本望だ」などという妄言を吐いている。立派で美しい日本共同体の助け合い精神を守れれば、国が財政破綻しようが、滅びようが構わないという論調だ。この部分はウヨク勢力の主張にきわめて近い。日本左翼の思想が行き詰まって「幻想のユートピア」にしか根拠が見いだせなくなっているのだ。
マスコミの論調もこれに少し浪花節をきかせて「かわいそうなご老人」を演出しているだけである。現実にどこの「共同体」で自分のことをさしおいて、老人介護に精をだす若年者がいるというのか。すべて、自分の都合の埒内でしかないだろう。後は、「金銭取引ベース」の話ししかないのだ。そしてそれでいいのである。そういうものでなければ、制度は永続しない。(そういう意味では、「介護報酬」を上げるべきだが、負担をどうするか問題を解決しなければ、元の木阿弥になる)
こういう考えは「資本主義の害悪」としてずっと批判されてきた。「人間関係の物象化」と言われることも長らく続いた。しかし、これを根本的に解決できる哲学などどこにも生まれなかったのだ。現在の日本で残っているのは「資本主義は悪いもの」という悪魔排除宗教だけである。そのような人たちは毎日「悪魔」を探し求めている。
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