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2009年1月

2009年1月29日 (木)

協会けんぽ保険料の県別格差

 日経は標題についての報道を詳しくやっている。10月から保険料率が県ごとに差をつけることになっているから、自民党の中で検討しているということだ。厚生族議員の中には差をつけること自体に反対だなどと言い出す抵抗勢力が多少は勢いを盛り返しているようだ。結局は、少し差をつけるということで、決まるのだろう。

 医療費問題のところで触れたように、北海道や九州、中四国、一部近畿では、医療費が高い。一方、病床数や医師数が多い。医療サービスは充実しているのである。それらのところでは、その結果、医療費が多くかかっている。

 協会けんぽ北海道がそうした実態をうまく分析したレポートがネットに出ている。その中に、平均標準報酬が安い北海道がより多くの医療費を使っていることを明確にしたものがあった。一人当たりで23千円安いのに、35千円も高い医療費を使っている。

 このことが、平均で一人58千円を得をしているということを示している、とは簡単に言えないと思う。給料が安いのは誰の責任とも言い難いからだし、入院が長すぎるといって、早く退院しろともなかなかいえないということもあるからだ。しかし、こういう実態を明確にし、議論することは絶対必要である。なぜなら、国保では既にかなりの格差がついており、協会けんぽ(政管けんぽ)だけが全国一律でなければならない明確な理由付けなどないからだ。

  実際の額で言えば、370万の年収で考えれば、0.5%上がる北海道(8.2から8.7)では年18500円、本人の負担はその半額である。100人雇っている事業主にとっては925000円の増加になるから、苦しいことはわかるが、それは、経済の状況からいっての話しで、別の論理である。一方では、0.5%下がる長野県では、歓迎すべきこととなる。

  北海道のレポートは平成18年のデータに基づいているが、長期にわたって払う額は少なく、受けるサービスは多いという状態は続いてきたのである。これを至急是正するのが政治の役割であるし、国保の実情はその方向を示している。これを逆戻りさせることなど、許すべきではない。

 

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2009年1月28日 (水)

鳩山は文句があるなら自分が購入しろ

「かんぽの宿」問題には困ったものだ。鳩山が一人でつっぱっているのかと思ったら、キャスターやらの中に妙に支持者がいたりしている。

 鳩山は安すぎると思うなら自分で買って、2年後に売り払えばいいんじゃないの。入札をしておいて、そんなことを言い出すなど末期的だ。

大体、マスコミの連中は法の手続きを何だと思っているんだ。いつまでたっても、グリーンピアの批判を持ち出しているくせに、毎年50億円の赤字を出すものを売り払うのに、文句があるはずはないだろう。

価値というのは買い手が同意したものを言うのであってそれ以外ではない。

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大阪府市町村職員健康保険組合は保険料等を公開しろ

大阪府市町村職員健康保険組合というのがあるらしい。3、4年前から共済組合、互助会の三者が統合へ向けて動いていたようだが、未だに存在しているようだ。名古屋市の場合は共済組合に昨年統合されたが、一体どうなっているのか?

 この組合はHPもないから、一般のものには実態がわからない。厚生統計協会の出している「保険と年金の動向」という本があり、私も大変参考にしているが、地方公務員共済組合の短期給付(健保給付)の資料のうち、大阪府のものが空欄になっている。驚くべきことに、この本が出始めた20年以上前からそれが変わっていないのだ。確かに名古屋市健保の分も載っていないから、大阪府のものが載っていないのも不思議ではないが、ふざけた話しである。(組合健保連に一緒になっていることは考えられる)

 ところで寝屋川市の国保の平成19年度の単年度赤字は約1億4千万、累積額 37億8千万円である。仮に寝屋川市職員1669人の所得が200万で配偶者1名のときの国保保険料(介護除く)35万円を全員が払えば、5億8千万である。当該職員の医療費等に半分かかるとしても、2億9千万は国保勘定に残るのである。

 しかも、もし35万が100%本人負担であるなら、市は健保保険料の負担金を免れるから、その分も財政が良化する。本来であれば、それが正しい理路である。

地方公務員法などにより、法的にはこれは認められないだろうが、寝屋川市の住民がこれを求めるのは当然の権利である。こういうことを書くと共産党の主張に似てしまうので余り書きたくないが、自分が払っている保険料はあいまいにしたまま、法外な国保保険料を住民に請求する態度は許し難い。

 

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2009年1月26日 (月)

「希望の20歳台計画」への各世代の感想

 急遽2010年より「希望の20歳台計画」が施行されることになった場合に予想される各世代の感想を推測してみたい。なお、2.5%の消費税増税は年収200万円で約4万円である。但し家賃を払っていれば、消費税を払わない支出が増えるので、多少減る。

 「75歳台以上」・・・「消費税の負担が増えるので、20台の孫からお年玉をもらいたいところだが、孫のために我慢したい」

 「60歳以上」・・・「しかたがない」

 「50歳台」・・・「子供が恩恵を受けることもあり、我慢する」

 「40歳台」・・・「子供に恩恵あるのはいいが、自分も年金のことを真剣に考えたい」

 「35歳以上」・・・「将来、自分の子供ひいては自分にも恩恵があるので我慢する」

 「27歳から34歳」・・・「何で自分たちは損を被るのか納得できない」

 「20歳から26歳」・・・「何か得した感じ」

 関係者の声(仮想取材)

 国、地方、私学の各共済組合の短期給付部分の事業主分(約200億円)については、国の国民年金勘定に移すことができるようにするべきだ。

 厚生年金の国年保険料以下の分や、協会けんぽ、組合健保分の事業主分は各企業の負担金を減らすことになるので、大変よい。

 各自治体も、国保財政の悪化を食い止める名案だ、としている一方で、子供が未成年の方が国保保険料が高いという妙なことになってしまう、と批判。

以上

 

 

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基礎年金の2分の1を国庫負担とするとはどういう意味か?

 埋蔵金を投入し09、10年度の表題の内容を実現することになったが、それを報道する記事に触れられる国民年金保険料の全額免除期間の年金給付を2分の1にするという話しには笑ってしまう。社保庁のリークをそのまま報道しているのだろうが、この制度は、財源とは無関係とは言えないが直接の関係などない。第一、今年59歳での人が免除を受けてもその人が年金を受けるのは6年後であり、そうした該当者は何人もいないし、仮に1万人いたとして増えるのは年13億強というわずかな額である。もし、20台の若者がその制度を利用するとして40年前後先の話しである。それまでの間も毎年その増額された国庫負担が投入されるのだから、何の説明にもなっていないのは明らかだ。

 確かに今まで3分の1であった全額免除期間の年金額を2分の1にすることはある意味賛成だし、私の主張は、20歳から10年間の保険料をただにしろというものだから、年齢の行った人たちにはいいことかもしれない。しかし、若い人に免除申請すれば半分年金をもらえるから申請しろと言っても、年金制度に不信感がある彼らは無視するだけである。だが、それを全員無料化すれば流れを変えられる。30歳以降になれば多少は年金への関心が高まり、免除申請も含め納付への関心が高まるだろう。

 20台の第一号被保険者は500万人くらいだろう。その保険料の総額は8.5千億円である。更に、第2号被保険者の分をどう考えるかだが、事業主、本人双方とも、国年保険料分を差し引くことにしたらよい。(マイナスのときは保険料タダ)。その分が第2号被保険者800万人とすれば、1兆3千億円となり合計でも2兆1500億で消費税1%で可能である。

 問題は移行時に対象外となるものや(特に既に保険料を払ったもの)、25歳とかの途中から対象となるものたちの不公平感であるが、これは、様々な人たちが提言している基礎年金全額税負担構想と同じように簡単に解決できるやり方は見つからない。しかし、問題の解決にかかる費用もそれらの構想よりずっと少額で解決できるのは間違いない。

 ところで制度導入時に消費税1%を投入するという場合、対象者はまだ年金を受給するわけではないのに、なぜ即座にその税金が必要なのであろうか?

これは冒頭の国庫負担金アップの話しと同じで、大枠の年金の給付と負担の状況のせいだとしか言えない。現在の給付を賄うにも1号被保険者でしっかり納付している20歳台の人たちの4千250億円も必要なので、少なくともこの分は手当しなければならないし、移行に伴う対象外の人たちへの費用も必要になる。当然、未納対策も必要だ。

 国保や政管健保、組合健保については、上限一人につき年10万まで国庫負担とする。国保以外は事業主分2万、本人分8万とする。1300万人に最大1兆3千億円。国年と国保で消費税1.5%が必要になるだろう。(被用者健保の被扶養者を除くとする)

現在の厚労省の主張する1%の基礎年金国庫負担も、この制度を導入すれば、削減できる可能性はある。理由は第1号被保険者が増えること。そのため、基礎年金拠出金単価が下がるからだ。国庫負担金の一部がこの制度の国庫負担金で代替されるということである。

 現在の経済状況から言えば今後20歳台の給与が上がることはあまり考えられない。年収200万前後の「希望のない層」がますます増える可能性がある。それを防ぐためには、これくらいの思い切った措置が必要だ。

 

 

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2009年1月22日 (木)

年金額再裁定の処理順の原則を示せ

 最近の年金問題の取り上げ方は、「再裁定に時間がかかりすぎる」というものが多い。社保庁が何をコメントしているのか、各社の記者が何をきいているのかも不明な記事も多い。無年金者が報われるはずだったのに、年金が払われる前に死亡してしまったというような記事も多いが、何故「処理順の原則」を問うた記事がないのか不思議である。

 年金の回復と言ってもわずかな期間のものとか、まだ、受給年齢に達していないとか、達していてもまだ僅かしかたっていないとか、の場合はアト回しでいいのではないか。年齢が高く、金額が多額のものが優先的に処理されているか、さっぱりわからないし、新聞記事にもそういう提言もない。

 もしかして申し立てした順番にやっているんじゃないだろうね。その辺をはっきりしてもらいたいものだ。

 第三者委員会の斡旋案件の中には、厚生年金が1カ月欠けていたというものが非常に多い。しかもまだ60歳前のものもある。本人にとっては重大なことなのは理解できないことはないが、こうした案件も高齢、高額の人から処理すべきであろう。

 こうしたことを斟酌せず処理率だけを示した記事ばかりなのには呆れてしまう。

20日、09年度の年金額が08年度と同じになりそうだということが報じられた。多少は物価が上がっているが、過去(H12,13,14年)に無理に維持した分のツケ(アト1.4%)が残っているということだ。これが解消されたかどうかは、月末に明らかになる。

 ところで、平成6年に自社さ政権によって老齢基礎年金の大盤振る舞いが行われ、40年加入で前年の747300円から78万円に引き上げられた。その後も平成11年まで毎年(物価等に連動した)増額改定が行われ、それは804200円までになった。この経験をした80歳以上の人たちは、年金は増えるものと誤解していたキライがある。それを助長したのが上記の3年間の最高額の維持である。

平成16(15)年797000円、17(16)年794500円、17年変わらず、18年変わらず(792100円)、19年792100円(変わらず)、20年度変わらず、21年度変わらずということになっている。この(四)つの「変わらず」のうち20年(19年)度のものは、19年(18年)度物価が0.3%上がったが年金が増えなかったものである。(そのため、1.7%の政策的維持分が1.4%になっている)(1/30訂正)

このように、平成12年度以来物価は上がっても、年金が増えない状況になっていて、ご老人たちの心配の種になってきた。しかし、よく見れば、現実には大して下がっていないのだ。しかも物価は下がって来たのであり、年金の貨幣価値自体が減ったわけではない。確かに、介護保険料が引かれるようになり、通帳に記載される額は減ってしまっているのも事実なので気持は理解できないことはないが、その気持ちに”正義”があるわけでもない。特に、後期高齢者の保険料は国保からの移転であるから(そうでない人もいるが)、引落額が増えたといって嘆く問題ではありえない。

 

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2009年1月19日 (月)

国保保険料の実態に迫る(2)

 所得100万の年金高齢者などを擁護する理由はないことは明らかになったが、もしこれが若年の給与所得者の場合だったらどうだろうか?被用者保険に入ってもいい人たちでも、何らかの事情(主に雇う側の事情)でそれに入らず国保に入っている場合が結構あると思われる。親元にいても、親が被用者保険対象者であれば、一人だけ国保に入ることになる。これらの人は年収が166万のとき、所得が約100万となり、40歳未満であれば、国保保険料166600円だけが課される。前年にも同様の国保料、17万の国民年金などを支払ったとすれば税金は4万程度になるから、租税公課は約40万ということになる。自分の自由になる金が126万。20台前半であれば、満更ではないかもしれないが、すぐに国保・国年が鬱陶しくなる。アルバイトでは昇給もままならず、益々、その気持ちが募ってゆく。 一見自由にやっているように見えるが、これでは、希望は生まれないだろう。

 一方、同じ年収で独立単身者の場合は、家賃を50万払えば直ぐに生活費に事欠くことになり、国保や国年は不払いになるだろう。給与に比し負担が大きすぎるのは明らかだ。社会保険料を払っていなければ税金は8万くらいになるが、それでも可処分額が158万(引く家賃)になるから、病気をせず、年金も無視すれば、つまり、目の前のことだけを考えれば、何とか暮らしていけるという状態だ。

  ところで若年独立単身者で問題とされることの多い年収200万の場合はどうであろうか。この場合、所得は122万、国保料は197千となる。国年も共に納付している場合税金は7万くらいだろうから、租税公課44万であり、可処分額が156万、家賃を払っても、楽ではないが何とか生きていけそうな感じだ。それでも多くの人は国保は払っても、国年は払わないだろう。もちろん国保も払わないことも十分考えられる。(国年半額免除の対象である)

 年収200万の人を貧困層とは言えない、と思う。しかし、希望がないのは、166万の人と当面それほどの違いはない。また、166万の人も意欲を出せば年収200万になると思うが、それをして保険料を払おうとする人などほとんどいないだろう。その結果、国年の未納が広がる。

 年収200万の人は貧困層ではないが、希望のない層である。正社員であれば今後年収が増えることもあるので除外してもいいが、そうでない比率が上がっているのも確かだ。

 貧困層であるのは、独立単身者で年収100万以下の人たちであろう。その人たちへの対策は、生活保護の他にも何か考えられねばならないが、第一にそういう人がどれくらいいるのか知る必要がある。

 また、年収100万から200万の層で、独立していて、今後給与の上がる見込みのない人たちがどれくらいいるのか、知らねばならない。この層に一定期間、国保、国年への公費投入が行われれば、効果は高い。現在のような中途半端なものでは晴れ間は見えないだろう。

 このように単身者についも、高齢者より、若者の不正規雇用者への対応が必要であるのは明らかだ。今日の日経の記事では、高齢者の生活保護の増加が報じられているが、これについては過去のツケであり、生活保護以外に方策はない。だが、その人たちを除く、様々な優遇策で守られてきている高齢者を擁護し続ける共産党、民主党その他は大いに反省すべきであろう。今回の給付金騒ぎで明らかのように、高齢者が生活に苦しいなどというのは偽りだった。夏頃までの物価高騰時には信憑性があったが、それは別の話しで、それがなくなったら、自分のところはいらないという世論が巻き起こっている。後期高齢者医療制度は引き続いており、そんなに苦しい高齢者がいるなら、当然、給付金をもらいたいとデモでもしたらいいではないか。共産党はこれを糊塗するためにいずれ消費税をあげるからこれには反対だと論理のすり替えをしてごまかしている。

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2009年1月15日 (木)

国保保険料の実態に迫る(1)

  大阪社会保険協議会(共産党系と思われる)の08年8月作成の資料で大阪府下各市の平成20年度国保保険料をネットで得ることができた。所得が100万、200万、300万と分かれており、その内部で毎日新聞がアンケートで使った40歳台夫婦+子二人、それに高齢夫婦世帯、高齢単身者の3つに分けて計算されている。

 寝屋川市はすべてのケースで最も高いし、作成者の意図も「こんなに高いんですよ」と言いたいようだが、個別に見てみれば、必ずしもそうでもないことがわかる。

 例えば高齢単身者で所得100万のケースである。年金だけの収入とすれば、それは220万になる。この表によれば国保保険料166600円であるが、介護保険1号被保険者保険料が55680円あるので計222千円となる。税金は私保険の保険料にもよるが5万程度だろうから、可処分の金額は193万程あることになる。債務や家賃が多くなければ、何ら問題があるものではないし、かなり楽勝のケースではなかろうか?

 ただ年金220万という人はそんなに多くはない。これからは男性で190万くらいが平均的だ。その場合、所得は70万になり、所得税、住民税はほとんどかからない。国保料の軽減はないが、125200円であり介護分55680円を加えて約18万である。可処分所得は172万となるが、これでも苦しいとはいえないだろう。

 女性の場合は老齢厚生年金が90万、基礎年金70万くらいが普通かも知れない。そのとき、所得は40万となり均等割り、平等割が2割軽減となる。税金はかからない。国保6.9万円、介護55680円で計125千円程度になる。可処分所得は145.5万円であり、これでも必ずしも苦しいとは言えないはずだ。

 ということは高齢単身者では、「生活の苦しさ」を中心に考えるなら、この表に意味はなく、もっと所得の低い人のケースを乗せる必要があるということだ。逆に考えれば、この表を示して「国保保険料が高いから生活が苦しい」というストーリィを作るとほころびが出るということだ。それなのに共産党はなぜそんなことをするのか?国保保険料が高すぎることを示すことができるからである。ところが、共産党が問題にしている人たち(低所得高齢者)はこの表の外にいるのだ。

 ちなみに上記の3件の単身者が75歳になり後期高齢者の保険料に切り替わるとどうなるか?220万の人は96千円+介護、190万の人は55800円+介護、160万の人は、13千円+介護となる。(その将来の時点では多少のアップはあるだろうが、一人当たりの保険料は後期も介護も極端に上がるようなことはないはず)

 これは(220万の人の)国保保険料が一番高い寝屋川市だから下がっているのではなく、箕面市以外は後期高齢者保険料の方が安くなっているのだ。もし、民主党が政権を取って、元の国保に戻すと言ったら、どうなるのか見ものである。

 そのことは置くとして、65歳以上・高齢単身者の保険料が少ないのは、言うまでもなく公的年金等控除が120万あるからだ。5年前まではこれが140万だった。如何に70歳台以上が優遇されていたかの一つの証だが、120万でも凄く影響しているのがわかるだろう。しかも、これらの人は年金保険料を払わない(介護保険料は払っているが)。更に持家率も9割以上、金融資産もかなりあると考えられる上に220万の年金では毎年黒字になるはずである。

 これ以上何をのぞむのだろうか?

 

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2009年1月14日 (水)

医療費問題の難しさ

 「矢野恒太記念会」発行「データでみる県勢」2009によると県別国民医療費の一人当たりの額の高い方から並べると北海道、九州、四国、中国の各県が軒並となる。老人医療費で悪名高い福岡は意外と少ないが、若い人が多いこともその理由となっているのだろう。

 これは別にこれらの地方の人々が病気がちというわけではなく、病床数や医師の数など医療体制が整っているところほど、医療費がかかるという当り前と言えば当たり前のことが起きているのだ。逆に考えれば、医者を減らし、病院を減らせば医療費は減らせる。

 しかしこれに賛成する人は誰もいない。逆に、医者を増やし、病院を増やせという意見が勢いを持っているのが今の状況である。だがそれには財政的な限度があることは、誰でも認める。そのことに反対はしない。ところが、具体的な限度の議論になると共産党のような限度拡大派の議論は”青天井化”してしまうのである。

 老人医療費(後期高齢者医療費)や国保の県別医療費の明確化を通じて一定程度の傾斜負担を求めている今の制度はいい方向だと言える。

 そうした厚生行政を「悪代官」に見立ててゲリラ戦を続けているのが共産党軍である。「国保崩壊」という5年前の本も、その作戦の模様を描いている。「実態をルポしている」かのように仕立てているが、取材しているのは各地の「民商」「民医連」などの仲間うちだけで、伊藤周平と平仄が同じだ。

 医療費問題は「自民党・厚労省・国保官僚」の「悪の枢軸」を倒せば解決するという問題ではない。財政状態を無視し、財源には、法人税を上げろ、国防費を下げろといった無責任な議論をする人たちに、解決方法を託せるわけがない。合理的な議論をするためには、資料となる数値の透明化が必要だ。これはそれを出してくる厚労省の側だけを言うのではない。それを”資料批判”する側のイデオロギーからの脱却も意味している。イスラエルとアラブの対立のような対立は国内の行政にはありえないことを、左翼マスコミや左翼政党はまず最初に身に沁みて認識すべきである。

 ところが彼らは「労働者が一番偉い」という自分たちの信仰に誤りがあるはずがない、と未だに思い込んでいるのである。逆の面から言えば「最近になって貧困者が増えている」と言って(自分たちの支持が増え)喜んでいるのである。

 東ドイツがあったため、このような惰性的なイデオロギーが育たなかった西ドイツではもっと実のある政策論争が行われた、と聞いている。それをある程度日本で実現してきたのが田原総一朗であるともいえるが、その田原でさえ現在の状況を古臭い思想的意匠で語ろうとしている。今行われるべきは、アブクのような右翼批判ではなく、筑紫などを含めた左翼思想の埋葬である。共産党への理解ではなく、それの批判である。

 

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2009年1月12日 (月)

年金崩壊を煽ったマスコミの責任

 日曜日の日経新聞に「社会保障」に関するアンケートが載っていた。制度の持続性について「10年以内に破綻する」とする回答が三分の一あったという。この質問も曖昧だが、「破綻する」の主語は「年金制度」しかないだろう。30歳台以下では半分以上がそう思っているということだ。

 5年前の議論でのマスコミや一部の学者たちにその責任はある。最近になってもまだ「年金制度は既に崩壊している」などという意見をテレビでいう奴もいる。5年前にはそう云っていた金子勝は、間違いに気づいて最近は何もいわなくなったが、金子の説を真に受けた連中が今でもそう思い込んでいるというわけである。

 「年金制度は崩壊しない」という私の主張の根拠は大変シンプルなものである。それは「受給権者が今でも5千万人もいるから」というものだ。「自分の生活が危機に瀕するような政策に賛成する人はいない」。(1/15訂正:受給権者は受給年齢に達して裁定請求した人を指す。5千万人はその人たち以外に年齢が来れば年金がもらえることが確定している人たちも含んでいる)

 確かに普通の保険のように預かった保険料を運用して原資としそれを給付すると考えれば、運用がうまく行かなかったり、新しい契約者が出てこなかったすれば破綻することもあるだろうが、年金制度はそういうものではないし、日本国民が存続するかぎりなくなることなどないのである。というのは、年金の給付額は現在の被保険者(現役)の払う保険料と税金によって大部分が賄われているからであり、現役被保険者が全員保険料を払わないと言わない限り、制度は存続するからだ。そしてその「被保険者全員」が「払わない」というわけがないのは、アト15年で年金がもらえる歳になれば誰だって「払おうとする」し、親のために払おうとする者も多いはずだからだ。更に65歳以上の受給者もいるから、多数決では決して負けることはなく、維持しようという政策が必ず勝利するのである。そしてその政府は「払いたくない」と言っている人たちからも保険料を徴収する権力を持っているのである。

 もちろん、受給額の減額や給付開始年齢の繰延べなどの微修正や消費税の導入などはあると思うが、それがどうして「年金崩壊」ということになるのか?こういうことを言って、「自民党政権」を倒そうとする「別の意図」を実現しようとした連中を許すべきでない。そういう「野党」ばかりだから議論が前進しないのだ。その尻馬にのって大騒ぎした「マスコミ」の責任が問われるのだ。

 以上の実態を私が認識しているからと言って、年寄りの世代がそれを当然であるかのように考えることには大反対である。年金額の減額が必要だし、消費税を使ったある程度の国庫負担の増額、そして、若年層への支援としての10年間の保険料の無料化を行うべきだと考えている。

 それを行うには、高齢者たちの生活の実態が検証されねばならないし、国保制度を中心とした医療制度の改革が是非とも必要だ。

 

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2009年1月 8日 (木)

価値を生むのは労働者だけか?

 金融危機を反省するのに「地に足をつけた」「モノづくりを大切にした」資本主義が目指されるべきだという俗耳になじみやすい議論が、田原総一朗のような「左翼的」人士から漏れてくる。だからと言ってこれらは「資本主義」自体を否定しているわけではなく、何でも「新自由主義経済」がいけないと言っている共産党や社民党とは、明確に区別される必要があるのだが、その区別をすべき議論が一向に進んでいないようだ。先の「俗論」などは社共に秋波を送る陣営も大歓迎している。

 佐藤優が評価したがっている「労働価値説」もその一つである。田原も満更でもないように思っているようだが、困ったことだ。なぜなら、この説の裏には「労働者の生み出した価値を資本家が簒奪している」という「信仰」があるからだ。もっとも、田原のいう「モノづくり資本主義」などというのは、この「信仰」とは別のただの「ロマンティシズム」であり区別すべきだが、「労働することはいいことだ」と言われると、問題の「信仰」が絡んで妙な結論(資本主義を乗り越えた別の資本主義があるような主張)を生みだすことになる。

 金融資本主義が「本来のもの作り」(製造業)から離れていったことを、「労働価値説」に絡めて批判することなどできない。なぜなら「何かを作る」のが労働だとしたとき、製造業以外でも当然のことながら「労働」が行われているからだ。しかも「金」を用意する人(資本家)も当然労働していることになるからだ。

 マルクスが無視した「流通業」について言えば、例えば「宅配便」では「モノ」を製造していないが、「価値」が生まれその対価が払われている。貨物を移動させること自体に価値が潜んでいるわけだが、それは「労働者の労働」によってのみ生まれたわけではないのは歴然としている。運送トラックや流通システムの整備、ソフト開発、宣伝などに「金」が投資され、それに加えて「労働」が投下される。最初の企画構想から始まり、それらの全体が価値を生んでいる、と考えるのが自然だ。

 アメリカでは「製造業」が衰退したことは確かである。イギリスもしかり。しかし「保険業」「銀行業」「証券業」などは世界を席巻している。更に「アミューズメント産業」「コンピューター開発」「音楽、映画」「スポーツビジネス」「健康産業」「穀物」「軍事技術」「航空機」「ファーストフード」など彼らがリードしているものは無数にある。これらはすべて「アタマを働かせて」作り出したものであり、「製造業」に劣るなどということは何の根拠もないのだ。

 確かに今回「アメリカ金融資本主義」の暴走があった。しかし、アメリカが瓦解することなどないし、その中で日本はどうすべきか考えればいいのであって、全く別種の経済体制ができあがることなどありえない。左翼も右翼も「すべてアメリカが悪い」などと言っているが、アメリカのおかげで生まれた価値観に基づいてそうノタマワっているのを忘れており、笑止千万だ。田母神問題で「自衛隊員にも言論の自由がある」などということばは、その典型である。また、「鉄腕アトム」を自国製と思い込んでいる韓国人とソックリだ。更に通信の規制緩和で出現したネット文化もすべてアメリカが主導したことも少し考えればわかるだろう。日米構造協議には問題となる部分もあっただろうが、それによって日本国民が受けた恩恵を過小評価するべきでない。

 こうしたことを考えれば「モノづくり」日本など、大した指標にはならない。もっと大きな羽ばたきが必要だ。田原も佐藤もディフェンシブにならず、攻撃的な言説を発信すべきであろう。

 

 

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2009年1月 7日 (水)

国民年金強制徴収の所得設定には何の問題もない

 今日の朝日の記事は社保庁が所得200万以上の世帯は強制徴収の対象とするという通達をだしていることを問題としている。もちろん差し押さえ等の強制徴収をすべて否定しているわけではないから、要するに金額が低すぎると言っているわけだ。

朝日の記事にあるように、この所得とは住民税の課税対象所得をいい、総所得から各種控除額を引いたもののようだ。そのため、単身者の総所得が200万円台、標準世帯(夫婦と子二人)のそれが300万円台でも対象になると問題にしている。確かに単身者で国民年金を払っていない場合、控除額は60万程度なので半分程度の納得性があるが、標準世帯のときはどうであろうか?

 基礎控除、配偶者控除、扶養控除で132万、国保保険料30万、生命保険料控除等3万とすれば、控除額は165万であり、総所得365万以上が対象ということである。更に自営業の場合、家族労働者の必要経費65万は実際には総所得に加算されるから、隠れた収入となっている。光熱費や通信費・ガソリン代などの家庭経費もサラリーマン家庭と違い事業経費に案分され、少なくて済む。等々を勘案すれば、夫婦二人の国民年金保険料34万円を長期間に渉って滞納していることは、合理的なものとは言えないだろう。

 社保庁の通達が対象者すべての財産を即座に差し押さえしろと言っているわけではない以上、問題とする方がおかしいと言える。また単身者の場合でも、総所得260万であっても年17万円が全く払えないとは言い切れないだろう。長年続けて払おうとしない人たちはこういうこと(強制徴収)がなければ、そのままでいいと50歳くらいまでは思ってしまう傾向が強い。そういう意味からもこの措置は必要だ。

 朝日の記事にもあるように、問題は将来の無年金者の防止であり、そのための社保庁の努力を批判することは、的外れ以外のものではない。朝日の記事は明らかに、「貧困者の擁護」の時流に乗って社保庁をたたき、読者の関心を引こうという姑息なものということができる。

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2009年1月 6日 (火)

「第三次世界大戦」という題名にみる田原・佐藤の焦り

 田原総一朗と佐藤優の対談を纏めた2冊の本が出ている。私はこの二人の意見に賛同する部分もあるので目を通して見たが、何故このような題名にしたのかは、よくわからなかった。しかし、田母神問題に際して田原が唐突に「昭和初年との類似」を言い出したのには、この対談があったのだと納得した。私は、田原の本はずいぶん読んだがここ2,3年はサンデープロの仕切りに呆れて全く無視していた。そのため「引退勧告」もしたのだが、この本の内容には私の関心領域に重なるパートがあることを今回知ることとなった。感想としてはこのような関心領域を持つ人間がどうしてサンデープロではあのようなことになるのかということである。

 推察するに、田原は、当然のことながら、本をすべて自分で書いているわけではあるまい。協力者がいると思う。そのため、本に書いていることをすべて田原が理解しているとは限らない、という感想が浮かんでくる。寄る年波で血の巡りが悪くなり、サンデープロの司会にもキレがなくなっていることも、もとはと言えば理解力の不足が原因とも言えよう。政治問題に比べれば経済問題の理解は昔からハラハラものだったが、すべての課題を理解することは、今ではだれにもできないことなのだから、田原だけを責めるのもフェアでないともいえる。だがそれでも私は「引退勧告」を撤回するつもりはない。なぜならこのままでは「グリーンスパン」か「ナベツネ」になりかねないからだ。

 その上で今回の本での彼の見解にはある程度の賛同を感じたのも確かである。貧困者の状況への関心もその一つだが、私の見解は田原と同じというわけではない。雨宮処凛の言う若年貧困者の問題を深刻に受けとめているわけだが、前から言うように、それがどれくらいのボリュームで存在するのかが問題であるのに、それについてはハッキリしたデータ提示がないからである。

 年収200万以下の人数が1千万を超えたという国税庁のデータを二人は話題にしているが、田原は別のデータから(らしい)1千万世帯が年収200万以下で人数は2千万だとも云っている。国税庁のデータは雇用者だけなので事業所得者や自営業者、年金受給者などが入っていないから、1千万世帯で2千万人というのも変ではないが、その内の年金受給者が何人いるのか、或は、世帯全体の収入が200万以下なのかどうか、よくわからない。国税庁のデータでは、世帯各員一人一人の年収なので、世帯全体のことは把握できない。60歳以上の年金(のみ)受給者の場合は200万でも暮らしていけないことはないので、「貧困」問題とは一線を画すべきである。また100万以下の層には専業主婦も多いはずであり、それも除く必要がある。その上で「絶対貧困層」がどれくらいになるのか、それが問題である。

 二人は「数十万人」という言い方をしているが、「病気等」で生活保護を受けている人はこれには含まれるのか、含まれないのか、それが問題だ。現在起きている「派遣労働者」問題の対象とは明らかに異質でもある。「とにかく貧困者が社会に充満して大変だ」というメッセージだけが独り歩きするのはよくない。後期高齢者医療制度を批判する連中のように、わけもわからず盛り上がっているだけのことになるからだ。

 若年貧困者の問題についてはその親の世代である45歳から55歳前後の層の「窮乏化」が原因の一つになっているような気がする。しかし、これらの層にはこれから福祉を厚くしても、根本を変えることはできないから、20歳から30代初めまでの層に直接金が流れる施策を進める以外に最早方法はない。例えば、社保料や税金(所得税)などを減額することも一つの方法だ。国保、国年などは一定期間(10年程度)無料にしてもよい(その分は消費税を上げて全国民が負担する)。それでも働く場所がなく「絶対貧困」であるものを救うことはできないかも知れないが、多くの若者たちに希望を与えることはできるだろう。老人より若者を大事にしていることを打ち出す必要があるのだ。

 田原、佐藤の主張はこの問題を過大にとらえ過ぎている。田母神問題の時も指摘したが、貧困者が充満していた昭和初年と圧倒的な中間層が存在する現在とを同一視することなどできはしない。それをあえてやっているのは、二人の「焦り」にしか見えない。

 今日の毎日の記事で衆院立候補予定者790人へのアンケートがあった。「憲法改正」へのスタンスを見てみると「積極的、やや積極的」が300人「やや反対、反対」が300人中間が200人という感じである。当選する人数は恐らく積極方向が半分、中間及び反対方向が半分ということになるだろう。ここから類推して、田母神の主張を肯定するような連中は立候補で100人以下、当選で50人以下であろう。

 自民党の議員が「ほとんど侵略戦争を否定している」などというのは、妄想であり、このアンケートを見る限り、憲法改正への道は遠いと思われる。それにもかかわらず、田原や佐藤が何を焦っているのか私にはよくわからない。

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