カテゴリー「経済・政治・国際」の95件の記事

2010年1月 6日 (水)

高齢者の貧困率は高まっているのか?

 標題について調べていると、これについても民主党小沢のウソ八百が目に入ったのでそれに論及することとする。

 上村敏之ら編「検証格差拡大社会」によると、小沢が民主党委員長になって消費税増税への言及をやめたころの国会質問にこういうのがあったらしい。

 「所得、雇用、教育、福祉など、あらゆる面で格差が拡大し、地域間、企業間、個人間の格差は、もはや個人の努力ではどうしようもないほど広がってしまいました。勤労者の三分の一は非正規雇用であり、サラリーマンの四人に一人は年収二百万円以下、四世帯のうち一世帯は預貯金が全くないという惨状であります。」(2007年1月29日)

 私が問題にするのは、「預貯金」の部分である。3年ごとに行われている国民生活基礎調査(厚労省・調査本体は毎年)のうちの貯蓄額調査(2004)によれば、貯金なしの世帯は9.4%である。年齢別で最高の29歳以下でも18.0%であり、25%を超えるものなどありはしない。

 上記小沢の言葉のうち、「預貯金」の部分がなかったとしたら迫力が半減したのは間違いのないところだから、小沢が何らかの調査からデータをくすねてきて(一応根拠を確保して)政治的印象を増幅させるために展開した主張だったと思う。政府側からの反論もあったのかも知れないが、それに関係なくこの言葉は国民の中に生き続けたような気がする。ところが実際にはそうではなかったのだ。

 貯蓄額があるかないかが問題であるのは、65歳以上の世帯である。更に、その世帯では、貯蓄額100万以下ではないのと変わらないと言える。それではこれら高齢者世帯で貯蓄額100万以下の比率はどう変わってきたのだろうか。

 95年 28.5%

 98年 26.8%

 01年 16.1%

 04年 18.4%

 07年 19.8%

 確かにゼロ年代には比率が上がってきており、2010年に行われる調査結果が待たれるところではあるが、90年代に比べて良化したともいえないこともない。少なくとも貯金ゼロ世帯がどんどん増えているというようなことは、全世帯的にも言えないのである。

 後期高齢者医療制度に反対するため共産党や民主党が持ち出した、高齢者世代の困窮化などというものはこれを見ても根拠のないものだったことがわかる。もちろん、困窮化している人もいないわけではないが、その人たちが苦しいからといって、制度全体を批判することなどできるわけがないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月17日 (木)

空いた口がふさがらない原口総務相のトンデモ要求

 この人の態度には日々呆れているが、つい最近副大臣を使って日本郵政のかんぽ生命とゆうちょ銀行の郵便局会社への消費税支払を免除しろと要求したと聞いて、空いた口がふさがらなかった。

 この生命保険会社と銀行を郵便局会社と同じ会社にすれば、社内取引なので消費税を払わないで済むということである。

 事実はその通りであるが、それは国庫収入を減らして、日本郵政会社を太らせろと言っているのであるから、困った人としか言えないだろう。

 かんぽ生命会社の場合、収益は保険料と運用収入がほとんどだろうから、預かり消費税がほとんどない。そのため、経費として出て行く通信料、郵便料にかかってくる消費税は、純粋のコストと同じである。しかしながら、他の生命保険会社、損害保険会社もそれは同じであり、それを国策会社だから特別扱いしろと言っているのだから、呆れてしまう。これが民業圧迫でなくて何なんだ。更にどうせなら、郵便代もゆうパックも国民全員から消費税は頂かないようにしたら、と言いたくなる。更にヤマトや佐川も頂かないという風にしたらどうか。

 原口も亀井も郵政国有化で何を狙っているんだ。当然、選挙の票であろう。そのためには不足している税金を自分の庭に引き込むことも何とも思っていないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月24日 (火)

世代論はもう終わりである

 玄田有史は「仕事のなかの曖昧な不安」の中で、山田昌弘の「パラサイト・シングル」に関する論点を批判して次のように書いた。

 「パラサイト・シングルが親からの既得権を享受しているというよりも、むしろ社会から『既得権』を与えられている中高年に、若者が『パラサイト』している」

 山田の本(「パラサイト・シングルの時代」)は99年、玄田のものは01年の上梓である。当時は一昨年くらいまで続いた「世代論」が一世を風靡していたから、玄田のものもその線にそって主張されたのであろう。要するに中高年(とりわけ団塊世代)が悪いというものである。

 こうした論調は三浦展など60年代頃生まれの人たちが30代の終わりになり、論壇にデビューした頃から盛んに行われたし、一部では未だに繰り返されているが、その生産性のなさがはっきりしてきたため、現在は下火になっているものだ。昨今は70年代生まれの論者が多くなってきているが、彼らはそうしたくだらない世代論には批判的であるように見受けられ、大変結構だと思う。

 その理由は玄田の文章にもある通り、中高年はロクな仕事もしないのに辞めない、そのため若者の仕事がない、という世代的偏見が彼らの主張の背景にあるからだ。玄田がその当時「中高年は若者に仕事を譲ってやめるべきだ」と思っていたとしたら大笑いだが、現実にはそうした分析がまことしやかに行われ、未だに信じられているのである。

 玄田の文章の後段だが、その字面の意味は間違っているわけではない。裕福な親に寄生していたのである。ところが、そこから玄田が意味させようとしたのが「親の既得権」だったから、間違いなのである。

 現実には中高年もリストラに合い、失業して行ったものも結構いたのであり、その結果が一部現在の家族の経済的包容力の低下につながったのである。確かに、年長フリーターの問題は速やかに解決しなければならないが、玄田のような主張がかえってその解決を遅らせることにもなるのである。

 この数年で社会保障の問題にも若者の目が向くようになり、正社員志向が強まってきた。若いうちは年金のことなど普通は考えないでいられたが、そうも言っていられなくなってきた。しかしそれも「年金の世代間格差」のような生産的でない論点が中心となってしまっている。その非生産性を見つめ、自らの将来のための制度をよく考えるべきであろうと思う。ところがその先頭にたっていたはずの民主党は、現在の制度は崩壊することはないので、保険料をしっかり払うように言うばかりである。

 確かに長妻厚労相自身は現行年金制度が崩壊するとか、崩壊しているとかは言ったことはないかもしれないが、お仲間のヤマノイが何度もそうした揺さぶりをかけ、阿呆なマスコミがそれを騒ぎ立ててきたのがこの1年だった。更に政権が取れそうになってからは新制度への移行構想には全く触れないようにしている。ふざけた連中だとしか言えまい。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月22日 (木)

長妻の「貧困率」公表の意図

 先々週に「貧困率」の調査をする、と言ったと思ったら、昨日、OECD方式の数字を長妻は発表させた。専門家ならすぐわかることだが、一般の人はもう調査が終わったのかと誤解するタイミングだ。早速「7人に1人の子供は貧困」ということばがテレビで一人歩きしている。

 子供を持つ少なくない家庭が現在苦しんでいることは事実だろう。しかし、この数字は本当らしくない、とも感じるのも事実である。

 日本人は有名な貯金好きで、他の国とは比較にならない。また、昔のように、他国へ渡って何とかしようという人もほとんどいない。一方メキシコでは身の危険をおかしてでもアメリカに行こうとする者が無数にいる。そのような国と我が国が同様の貧困水準と言われて信ずる者はいないだろう。こうした感覚を無視することは罪である。

 厚労省は今までこの数字をだすことを拒否してきた。その理屈は聞いたことはないが、このようなものでは「貧困率」は測れないと考えていたのは間違いない。マスコミはこの点について厚労省や長妻の見解をただすべきであるのに、誰もそのことに言及していないようだ。

 7人に1人ということは2000万人の17歳以下の子供のうち、280万人が「貧困状態」だということである。これを聞いて、食事も満足に食べられない、医者にも行けないという映像を見せられれば、280万人がそういう状況なのかと考えてしまうが、そうは言っているわけではないのが「貧困論」のムード演劇的なところである。

 民主党も十分にそのことを知った上での演出なのだろう。母子加算を廻る、長妻、藤井、鳩山の茶番劇にもそれが強く感じられる。要は早く調査を行うことが大事である。まさか予算がないのでOECDにお任せしたわけじゃないと思うが。

 OECDの数字は06年のものである。その頃のマスコミの論調は「給食費を払わないモンスター親」というものが多かった。教師から取材したとき、教師の方で貧困で払えない子供がたくさんいるという話しはなかったのだろうか?あったはずだ。しかし、規模的には問題にするほどではなかったということだ。

 ところが、今回同じ時点のデータでこんなに貧困が広がっていると報道しているのだ。これには反省が必要なのは、マスコミ側もわかっているのではないか。従って、長妻の意図に反してワイドショウなどで大騒ぎにはならない可能性はあるが、どうであろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 6日 (火)

「貧困」の実態調査

 標題については、かねてよりの湯浅誠の主張であり、山井厚労政務官が今回その意向を表明したが、よいことではある。しかし、私には、何年も前から竹中平蔵が同じことを主張していたのを忘れるべきではないと思われる。

 なぜ、この調査は行われなかったのか?それには恐らく技術的に難しい要素があるのだと思われる。一つには「世帯の年収」が所得税データでは測りにくいため、アンケートによるサンプル調査しかないこと、そのため、アンケートの答えへの信憑性が疑われるということである。また、金融資産に関わる所得が分離されていて、世帯の所得に反映されていないこともある。更に、不動産などの資産や海外での所得や資産なども世帯の収入に現れない問題もある。もちろん本人が正直に答えるならそれでも構わないが、そんなことはほとんど考えられないから、問題だと言えるのである。また、生活保護の支給の場合には家族や係累の状況まである程度調べられる。しかしアンケートにそんなことを書く人はいない。

 この調査の前提には、社会保障番号の導入だけでは足りず、納税者番号の導入が不可欠なのである。そしてすべての金融取引にこの番号を不可欠とすべきである。そうしなければ、金融資産の状況が不明になり、年収だけで「貧困」か否かを判断せざるを得なくなるのである。

 年金収入だけの収入で200万以下の世帯(65歳以上)は夫婦のみの世帯、単身世帯、事情のある子供を持つ世帯などいろいろだろうがその数500万以上はあるだろう。しかし、金融資産や子どもからの仕送りなどがあれば、暮らして行けないわけではない人も多いハズである。もちろんそれも年収や資産の額によるだろうが、すべて貧困家庭というのは正しくない。湯浅であってもそのことには同意するだろう。

 しかし昨今の議論では、その辺りの分別がない。分別しようにもデータがないのである。OECDは平均所得額の半分以下の世帯は貧困だという基準を設けているが、年金生活者のほとんどがこれに該当してしまってはおかしいと思うのが当然だろう。このデータを取り上げる学者たちが誰もそのことに触れないのが不思議だ。そんなことを言っては仲間外れになるとでも思っているかのようである。

 「貧困論」が蔓延する今の世の中では納税者番号まで待っていられない気にさせられる。私のようにそうした「平板な貧困論」に反対するものも「貧困論者」も、調査が必要であることには異議はないのだから、やったらいいだろうと思う。それを公明正大にオープンにしてもらいたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月23日 (水)

民主党の年金構想(3)

 各種世論調査が出ているが、年金改革は是非やってほしいというものが多いようだ。医療や雇用の対策と一緒になっている質問もあるので、正確にはわからないが、そのことへの漠然とした希望があるのだろう。

 しかし実際には、「そのこと」には現在の20歳から上の年齢では直接的には無関係であることを知ったら、そういう回答をするかどうかは大いに疑問である。例えばこれからすぐ年金をもらえる50代や既にもらっている世代の人たちは、年金が増えると思っているかも知れないが、そういうことは絶対にない。

 また、30代や40代であっても新制度による受給でないことは大いに可能性がある。既に経過した期間(二十歳からの期間)の納付状況に差があるから、同額の年金というわけにはいかないからである。これについては多少の操作は可能かも知れない(例えば、払った国民年金保険料相当額を払い戻すことなど)が、膨大な手間と莫大な財政負担を考えれば、新制度開始時に20歳になる人以降の新制度加入というのが順当に考えられるところである。

 ということは、現在20歳前後の人が死ぬまで現制度は続くということである。

 このことを知った上でなお、年金制度の改革に期待する人はほとんどいないと思う。「消えた年金」や「改ざん問題」以外で民主党が打ち出している現制度改革はどこにもなく、現在の大多数の有権者に資するものなど何もない。民主党はそのことを曖昧にして(ごまかして)政権をとり、さてどうしたものかと右往左往しているのが実態だと言える。これで何かいいことが起きると思うのがおかしいのだが、誰もそれがわからない。

 もちろん、現制度での様々な問題で年金額が不当に押し下げられている人は年金額が増えるかもしれないが、それは「年金制度改革」とは別の話しである。長妻はまずこれに手をつけて新制度の問題を先送りする戦略なのだろう。しかし、少なくとも上に述べた程度の「移行構想」はすぐにでも明確にすべきであるし、そうでなければ国民年金保険料の納付手控えのような影響が出て現制度の財政に影響を与える。つまり、今までのように年金制度の外から批判していれば済むわけではなく、現実にそれを維持しながら(長期間にわたる)、自分たちの考える新制度に軟着陸させる筋道を示す義務があるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月28日 (金)

マスコミ記者の不勉強の罪

 世論に影響を与えるのは「テレビ」と「新聞」が非常に大きい。それにしては彼らがそうした「権力」を持ちながらそれを認識せず「ショぼい」報道しかしていないのは嘆かわしい限りである。特に高給に恵まれたテレビ各社、一部新聞の各員には猛省を促したい。もちろん高給でなくても、反省はしてもらわねばならない。

 今回取り上げるのは、余り高給でない毎日新聞である。24日のもので「年金生活者」の生活の苦しさを強調するもののうち、最初のものである。

 仙台市在住の63歳の女性で今年度の年金額が180万という人に住民税と固定資産税(推定)、国民健康保険料の合計40万が請求されているというものである。国保・介護で26万税金が13万だという。(合計が合っていないが..)

 独身の女性でこれだけの年金をもらえる人は多くはない。それにもかかわらず暮らしていけないというストーリーになっているので、仙台市のHPで保険料、住民税を計算してみると、国保・介護が26万になるには、住民税が9万になることが必要であることがわかった。

 この場合の所得は86万である。

180万(65歳未満)の公的年金等控除は82.5万、前年も同じ保険料として26万、生命・損害保険控除2.5万とすると所得は基礎控除33万を引いて36万となり、50万ほど計算が合わない。つまりこの人の前年の所得は50万多かったのである。つまり180万+50万。

 従って今年が180万だけなら1年たって来年は国保・介護で16万ほどになる。住民税も4万である。その翌年はまた(社会保険料控除額が減るので)保険料・住民税は増えるかもしれないが、この人は65歳になっているため、公的年金等控除が増えるので帳消しになる。

 いずれにしてもこの記事の言っていることは正確でないし、月の生活費17万というのも過大である。恐らく、税金や保険料を二重に算入していると思われる。もしそうでないとすると、月平均20万3千の支出ということになるが、総務省の統計による高齢単身世帯の支出額平均(15万3千)と比べて、多すぎるのである。

 もちろんいくら支出しようが本人の自由である。しかしこれを国の年金のセイにされてはかなわない。もし、貯えが本当に足りないのであれば、切り詰めるかリバースモーゲージを利用するしかないだろう。本人の考え方である。

 もしこの記事を書いた記者が本人の言いなりで書いているとすれば、こんなにふざけた話しはない。このように簡単に裏をとれることは他の事件などではあまりないだろう。それにもかかわらず、こういう体たらくなのであれば、年金生活者の生活は苦しいハズという先入見があるのだ。特に言っておきたいのは、こういう記事の対象にいくらの金融資産があるのかも必ず取材して書いてもらいたということだ。そうでなければその人のこれからの人生をどうやって想像しろというのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月25日 (火)

基礎年金の国庫負担の話し

 福田淳一の「日本の財政」によると、基礎年金拠出金に関連して国庫が負担する金額は08年度が7兆4千億、09年度(予算)が9兆8千億である。これが基礎年金の国庫負担が二分の一になったという意味である。

 ところが、読売ネットの年金解説教室を読むと、この負担比率が国民年金の保険料免除比率に関係しているように書いてある。つまりこの結果、全額免除者の受給額がこれからは満額の三分の一から二分の一になるという説明である。この説明は恐らく社保庁の方でしていて、読売はそれを信じて記事を作っているのだろうが、少しアタマを働かせれば、この説明はおかしいのがすぐわかる。なぜなら、今年度から増額されたのは2兆4千億だが、今年度給付される基礎年金でそのような免除者は一人もいないからだ。それならば、そのような受給者が大量に出てくるまでの、その増加した国庫負担金はどこに行くのか?それまで国庫負担金は不要なのではないのか?ということになり兼ねない。

 こういうことが起きるのは、年金は自分が負担したお金が廻り廻って自分のものになるというフィクションが払しょくされていないためである。社保庁がわざとそうしていると言えるが、国民や専門家の方でもそういう議論をいつまでも続けている人たちがいるのがその理由だろう。更に法律の作り方がそれを許しているのではなかろうか?そうしたものは過去のシガラミでしかないから、一度断ち切る必要があるだろう。つまり年金特別会計の勘定をシンプルにしてわかりやすくすることだ。その場合、わかりにくい基礎年金拠出金というものもなくなるから、その2分の1となっている国庫負担も根拠がなくなる。しかし、これが2分の1でなければならない根拠など最初からどこにもないのだから、新しい根拠を決めればよいのだ。例えば、全給付額の三分の一(15兆円)を国庫負担とするといったことだ。(しかし、これだと数十年は税投入が増えてしまうので、歯止めも必要だとも思うが。)

 民主党が政権を取り新年金制度が考慮される時が迫っているのに、なぜ、現制度の改革の話しをするのかと言えば、現制度が現在の20歳の人が全員死ぬときまで残ることも考えられるからである。前にも書いたが、制度移行は簡単ではない。そのため、民主党も具体案ができていない。そのため、これから何年かかけて議論がされるのであり、そのときには現制度の欠陥も改められる、というのが私の見通しだ。

 それにしても民主党はふざけている。できないならできないというべきであろう。曖昧なままにして政権をとろうとしているのは本当に許せないが、日本国民のレベルがそれを許したということである。 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月18日 (火)

核武装論者のあほらしさ

 先週は多くの二次大戦絡みの番組があった。視聴したのはその内の1割もないが、その中でも最近よく聞くようになったのは、核武装論者の発言である。特に視聴者参加のNHKの番組にはそのような主張をするものが出張っていたような気がする。このような議論をすることは悪いとは思わない。思わないが、余りにあほらしい議論を「本を読んだまま」主張されるのは、辟易せざるをえない。

 彼らが主張する議論の中に「日本が原爆を持っていたら、アメリカは日本に原爆を落とさなかった」というものが流通しているようだ。この半年くらいに誰かが本に書き、それがウケているのだろう。この議論には幾重にもウソが積み重なっているが、一見すると核抑止理論に基づいていて納得してしまうところがその理由なのだろう。

 こういう主張には「日本が原爆を持っていたら、日本は中国とアメリカに最初に原爆を使っただろう」と主張するのがよいと思われる。

 その意味は一つには当時は通常兵器に準じたものだったし、毒ガス・生物兵器を研究していたことから考えて大いにありえたことだ、ということ、二つには核抑止論というものは米ソ体制の中で最も機能したのであって、60年代までは特に中国絡みでは現実に使用されかねないものであった、ということ。つまり、二次大戦時にはそんな抑止論など影も形もなかった、ということだ。

 彼らは「北朝鮮が核武装したから日本もそうしよう」という議論は余りに弱すぎると思ったのだろう。それで、このような言い方をすれば賛成者が増えると思ったのだ。特に日本の権力者はいい人たちばかりだから原爆を最初に使わないということが前提されていて、非常にカワイイ議論だといえる。もちろん私とて現実にそのような兵器が手に入った日本の支配者がそれを使用したかどうかはわからない。ということは同じように「今、核武装論者が展開している議論」も架空の絵空事だというこということになるのだ。

 NHKのドキュメンタリーでナチスドイツが原爆を作る前にそれを作らなければ大変なことになる、というオッペンハイマーたち亡命ユダヤ人学者の恐怖が原爆を生んだとい事情を放送していたが、ヒットラーの狂気がこの兵器を生んでしまったと言えるだろう。日本にも小規模ながら同様の狂気があった。特攻作戦などもその一つと言えよう。このことを無視した主張は多くの支持をうることはできないのも当然だと言える。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年8月12日 (水)

老年者控除の復活には断固反対せよ

 標題は日経の大林に言っている。もちろん、被害を被る現役世代にも向けているが、恩恵を受ける65歳以上の親、祖父母のいる子供・孫にも同様の気概が求められるべきであろう。

 どういうことか?昨日、民主党の直嶋はマニフェストの一部修正を説明したが、その中に老年者控除の復活、公的年金等控除(65歳以上)の元の額への戻しについて語ったところがあった。話しの経緯としては、子供手当の財源の一部として配偶者控除と扶養者控除の廃止を打ち出した民主党に対して、自民党側から老年者への増税を指摘されたことにつき申し開きをしたということである。民主党が最初からこのことを考えていたのかは知らないが、自民党もこういう反論には空いた口がふさがらずまた今の政治情勢では正面切った反論もできずで、またまた民主党に一本取られたことになってしまったということだ。

 民主党になぜこういう芸当ができるかと言えば、財源のことは考えず有権者のご機嫌取りをしていればいいからである。

 老年者控除の廃止は2005年の所得から適用された。それ以前は65歳以上で所得が1千万以下であれば、50万円の所得控除があった。同時に行われた公的年金等控除の減額を合わせれば70万円である。住民税もあるので税金の額として10万円が増税になったのである。

 しかし、実際に適用されるのは公的年金だけが収入である場合で夫の収入300万円以上の世帯(夫婦のみ)である。現行では社会保険料(国保、介護)が30万であれば、

公的年金等控除120万

基礎控除38万

配偶者控除38万

社保控除30万

合計226万の所得控除があるが、以前は296万(プラス70万)までは税金がかからなかったということである。(住民税は多少異なる)

 民主党の構想ではこれを配偶者控除を引いた258万にしようとしているわけだが、もし配偶者が100万円の年金をもらっているとすると、世帯合計収入が358万あっても所得税はかからなくなるのである。

 もちろん今でも二人で326万までは所得税はかからない可能性が高いからおなじようなものだが、これを若い人が聞いて何と思うであろうか?公的年金等控除を65歳未満と同様の70万とすべきだと思うのは当たり前であろう。更に200万程度の夫と70万程度の妻と言う高齢夫婦は多いが、夫が300万の年金をもらっている人の数は多いわけではない。なぜ、その少数の裕福なものたちへの減税をする必要があるのであろう。さっぱりわからない。

 民主党は老年者控除の廃止で「お年寄り」が痛めつけられたとでも思っているのだろうか?そうではあるまい。配偶者控除の廃止で被害が出ないような辻褄合わせをしているだけである。だからこんな愚かなことが起きるのである。

 老年者控除ほど世代間格差を呼んでいるものはないのだから、大林は断固としてこれに反対するべきだ。そうではないのかね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧